「キャバクラユニオン」という労働組合がある。
文字通り、キャバ嬢のキャバ嬢によるキャバ嬢のための労働組合だ。そんなキャバクラユニオンの一員として活動してきた布施えり子さんが『キャバ嬢なめんな 〜夜の世界・暴力とハラスメントの現場』(2018年4月、現代書館)という本を出版することになり、刊行前の原稿を読む機会があったのだが(非常に面白いのでぜひ読んでほしい)、その中に「キャバクラに女の子をいじめに来るような客がいる」という記述があり、「ああ……」と過去のことを思い出した。
20代前半、私もキャバクラで働いていたのだが、その手の客には散々嫌な目に遭わされた。覚えているのは、とにかくものすごいクレーマー体質で、何でもかんでも言いがかりをつけてくる客。暴言はもちろんのこと、普通に会話していても「さっきと言ってることが違う! 嘘をついた!」などと突然キレる。
キャバ嬢を精神的に追い詰め、いたぶるのが大好きで、それは店のボーイにまでおよんでいた。注文した料理が少しでも遅かったり、頼んだお酒がいつもと比べてほんの少し薄かったりすると途端に激昂し、土下座させるまで決して許さない。わざわざ「キレるきっかけ」を探しているようで、その客が来ると店全体に緊張が走ったのだった。
一度などあまりに暴言がひどいので、店長が警察を呼んだこともある。が、相手は嫌がらせのプロ。ボーイに土下座させるなどはしても、絶対に暴力は振るわないのでどうにもならず、結局は「警察を呼んだ」という理由でまたキャバ嬢や店の人間をねちねちといじめたのであった。
それにしても、キャバクラって不思議な場所だとつくづく思う。もちろん、楽しくお酒を飲む場所として利用している人が多数だろうが、一定数は明らかに「ハラスメント」のために来ているのだ。
わざわざお金を払って、キャバ嬢をいびるために時間を過ごす。それほどに、ストレスが溜まっているのだろうか。お金を払って「客」という立場になり、その間だけ絶大な権力を持ちつつ万能感を手に入れなければやっていられないほど、それ以外の時間は無力感に苛まれているのだろうか。
圧倒的に自分より弱い立場の人間をいびることでしか発散できないストレスとは、一体どのようなものなのか。いくら考えても私には理解不能だが、ただ一つ言えるのは、女性にはそのような場所は存在しないということである。
「ホストがあるじゃん」という声もあるだろう。が、「敷居の高さ」という点では、絶対に非対称だ。なぜなら、私が働いていたキャバクラに来るのは、普通のサラリーマンが多数だったからだ。普通のサラリーマンでも来られる料金設定だったということだ。が、かたや普通のOLで「日常的にホストに行ってます」というケースを私は知らない。
ホストクラブの料金設定など詳しいことはよく知らないが、普通に働く女性がしょっちゅう行ける場所でないことはわかる。その上、世の中にはホストにハマって風俗に、なんて話もあふれている。しかし、キャバクラにハマって、一昔前の“マグロ漁船”的な仕事に……という話を私は聞いたことがない。また、「ねちねちとホストをいびるために来る女性客」も想像しづらい。
もちろん一部にはいるのだろうが、キャバクラの客の比ではないだろう。そう思うと、「安心安全で生活を破綻させない程度の価格でストレス発散できるサービス業」が、この国には男性にのみあふれていることに改めて気付かされる。
少し前も、ある漫画を読んでいて「男性と女性の違い」に唸らされた。それはカトーコーキ著『しんさいニート』(16年、イースト・プレス)という漫画。福島県南相馬市で東日本大震災に遭い、北海道に避難した30代の単身男性の経験を綴ったものである。
仕事も故郷も失った男性は美容師となり、東京に出て働くのだが、職場のストレスや震災のストレス、環境の激変などでうつを発症。そんな苦しみを忘れるためにハマったのがパチンコ。その話の後に、「パチンコに勝つとボクは決まって大人のマッサージのお姉さんを呼んだ」(P.191)という描写が続くのだ。
「誰かに触れてもらうことで 自分の存在が許されていると 信じたかったのだと思う」(P.192)
漫画のコマには、ベッドでお姉さんに腕枕をしつつタバコを吸う「ボク」の姿が描かれている。
これを読んだ時「そうか……」と、ある意味新鮮な驚きを感じた。いいとか悪いとかそういうことは別にして、精神的に追い詰められた状態の時、男性にはそのようなサービスを利用する手があるのか、と。
これも女性にはないものである。「出張ホストがあるじゃないか」なんて声が聞こえてきそうだが、こちらもホストと同様、敷居が高い。もちろん男性でも「決して性産業は利用しない」という人は多く存在する。が、性風俗などを利用した経験がある男性を、私は多く知っている。かなりおおっぴらに語られているからだ。
しかし、「出張ホストを利用したことがある」という女性に会ったことはない。「言わないだけじゃないの?」という意見もあるだろう。そういうこともあるかもしれないが、そもそもまったく馴染みがなく、利用方法もわからないというのが多くの女性の感覚ではなかろうか。
「出張ホストが嫌なら、出会い系で男探せば?」という雑な意見も聞こえてきそうだ。しかし、それはあまりにもリスクが高すぎる。怖い、という一言に尽きるだろう。一方で、男性にとっての性産業は、あまりにも「手軽」に利用されているように感じる。
そう、キーワードは「手軽さ」なのだ。
さて、そんなことを考えていて思い出したのは東日本大震災から5年目に出版された小野一光著『震災風俗嬢』(16年、太田出版)だ。
この本によると、「3・11」からわずか1週間後に営業を再開させた風俗店があったのだという。もちろん、被災地での話だ。それ以上に驚かされるのが、震災と津波と原発事故で大混乱の上、夥しい数の命が失われた地で、風俗店はいつもより大忙しだったという事実である。
店によっては、いつもの倍近い客が押し寄せたのだという。客はもちろん被災者。家を流されたり、仕事を失ったり、中には家族を亡くした人もいたという。
「えっ、そんな状況で風俗に?」(P.42)
著者の小野氏が思わず口にすると、風俗嬢はこう答える。
「そんな場合じゃないことは、本人もわかっていたと思いますよ。ただ、その人は『どうしていいかわからない。人肌に触れないと正気でいられない』って話してました」(P.42)
そう話した男性は30代後半。妻と子どもと両親が津波に流されたのだという。妻は土に埋もれ、歯型の鑑定でやっと本人だとわかったということだった。
風俗店のオーナーは震災後、店の女性たちに「ああいうことがあったあとなんで、女の子にはただ“抜く”だけじゃなくて、癒しに専念してくださいって言ってんだよね」(P.45)と語る。
女性たちは客に対して話を聞く、肩を揉む、髪を洗う、全身を洗うなど、性的サービスに限らず相手に求められることをやってきたと語る。
ここまで読んで、あなたはどう思っただろう。「美談」のように思った人もいるかもしれないし、「人肌恋しくなる気持ちはわかる」と思った人もいるかもしれない。もちろん私も大切な人や家や仕事を失くした失意と混乱の中、人肌や癒しを求めたくなる気持ちはわかる。
が、ここで指摘しておきたいのは、風俗嬢たちもまた被災している、という事実だ。両親が津波で流された女性もいれば、家を流された女性もいる。また、震災で家を流され、父親が勤め先を流されて仕事を失い、小さい兄弟もいることから家計を助けるために3・11後に風俗で働き始めた女性もいる。
そんな女性のサービスを受けた男性は言うのだ。
「けどまあ、カネさ払ってるから、することはしたけど、やっぱいい気持ちはしないでしょ。どっちかつうと引ぐでしょ、フツウ……」(P.19)
「いやもう、なんか気まずかったぁ」(P.18)
何なのだろう、この随分と勝手すぎる言いぶんは?
『震災風俗嬢』に登場する女性たちの多くは、「仕事ができて嬉しい」と語る。お金を稼げるし、役に立てるのが嬉しいと。しかし、プレーのたびにお客さんと「あの日」の話になり、PTSDの症状に見舞われる女性も出てくる。
私が気になるのは、被災地で自らが被災しながらもプロとして男性を癒し、性的サービスを提供する女性たちを一体誰が癒すのだろう? ということだ。
客となる男性は、心身ともに傷付いている。中には骨折している人もいる。が、彼女たちだって震災によって深く傷付いている。