そして性の商品化に対して諸手を挙げてて賛成できない自分の気持ちを、この言葉を使えば、「金払えば、金もらえば、何してもいい」という人たちに、少しだけ、説明できそうな気がする。
選択してるとか、自己責任とか、お金もらってるからとか、いつもそんな言葉で口を封じられてしまうけれど、その前に私たちは「母国語の文法のように当たり前になっていること」を、いったん根底から疑ってもいいのだ。特に声のデカいオッサンなんかが「好きでやってるんだ」なんて言うけれど、それはそもそも自分に都合のいい正当化をしたいだけではないのか、その確信はどのような根拠に基づくものなのか、と問うていいのだ。
女子の生きづらさは、言葉を獲得することで緩和されることがある。「主流秩序」という言葉も、そんな一言になればいいのに、と思ったのだった。興味がある人は、伊田さんの著書に『閉塞社会の秘密―主流秩序の囚われ』(2015年、アットワークス)があるので読んでみるといい。
私もこれから読んでみようと思う。そしてたくさん、言葉を獲得しようと思う。
次回は2016年1月7日(木)の予定です。
性の商品化問題
(作家、活動家)
2015/12/03