女性の性が商品化されることについて、あなたはどんな思いを持っているだろうか。メディアでの商品化から具体的に身体(からだ)を売るなど、範囲はさまざまだ。
「本人が選択して、好きでやってるんだからいいんじゃない?」「お金もらって仕事としてやってるんだから、他人がとやかく言う問題じゃない」「今はAV女優とかでも、相当スペック高くないとできない仕事だから別にいいと思う」
そんな意見もあれば「自分はやりたくない」「自分の大切な友達にはやってほしくない」という意見、また「女性への人権侵害」「広い意味では人身取引」「日本は性の売買について、法的規制も認識も甘すぎる」という意見もある。
きちんと考えようとすればするほど、重く、深い問いだと思う。私自身、この質問には、長いこと上に挙げたような言葉で答えてきた。「いいんじゃん?」から「人権侵害」まで、あまりに幅広い回答である。
そんな答えになってしまうのは、自分の意見が定まっていない証拠なのだろう。また、それぞれの状況が、あまりにも違いすぎるという事情もある。一口に「性の商品化」と言っても、アジアの貧しい国で売春させられる少女には、誰もが「好きでやってる」なんて言わないはずだ。逆に「麻薬に次ぐ、世界第2の犯罪としての人身取引の被害者」という視点で論じられるだろう。
一方で、この国で性風俗の仕事に従事している女性たちの状況については、どう考えるだろう。自分のまわりでそういった仕事に従事していた、あるいはしている人を思い浮かべるだけでも、グラデーションの濃淡にはあまりにも差がある。
精神的な病気があるので、シフトの決まっている仕事ができないから、という理由の人。借金がある人。明らかに男にだまされて、その世界にぶち込まれた人。そういった仕事が、完全に自傷行為になってしまっているような人。また、私が取材してきたホームレス女性の中には、親の虐待や同居していた彼氏のDV(ドメスティック・バイオレンス)から逃げ出して、一時は路上生活・ネットカフェ難民化。そこからやむなく風俗業に行った人もいた。
これほどまでに、事情はさまざまだ。しかし大抵の場合、「日本という先進国でやるのは自己責任」「どうせブランドものが欲しいだけでしょ?」などと一蹴される。
が、最近、「ここまで来たか」と驚愕するような実態を、ある本で知った。それは、ノンフィクション作家・中村淳彦さんの著書『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(2015年、朝日新書)。タイトル通り、風俗で働く大学生たちのルポルタージュだ。
世帯年収が減り続ける中、上がり続ける学費。大学生の2人に1人が利用する「奨学金」という名のただの借金。多くの学生が、学費と生活費のためにアルバイトするものの、大学との両立は難しい。本書に登場する学生たちの境遇は、あまりにも過酷だ。5日連続夜勤や25時間労働といった介護サービスのバイトと大学の両立に、「カラダを壊してしまう」「眠る時間もない」と、時給の高い風俗業に移った女の子。また、年金生活の祖母との暮らしなので学費を頼れず、新聞配達や家庭教師などバイトをかけ持ちする男子学生は、体力に限界を感じて「男娼」の道を選ぶ。男性に身体を売るのだ。もちろん彼自身はゲイではない。仕事を始めるにあたり、友人を温泉に誘い、なんとか説得して「練習台」となってもらったというエピソードには泣けてくる。
これらはどれもこれも、学費や生活費のために身体を売る学生たちのストーリーだ。東京地区私立大学教職員組合連合(東京私大教連)の家計負担調査によれば、現在、親元を離れて通う首都圏の私立大学生の1日あたりの生活費は897円(2014年5~7月)。調査開始以来、最低の額だという。
この本に登場する学生の多くは、他に選択肢がない状況だ。私は今まで、友人などから「風俗で働こうか、どうか……」なんて相談を受けるたびに、止めてきた。なぜなら、そういった仕事をしていた友人・知人の中で、「心を壊す」子が少なからずいたからだ。
もともと精神的な問題を抱えていた、という子もいたけれど、先に書いたように「風俗で働く」という行為自体が自傷行為にしか見えない子もいた。何人かが自ら命を絶ってから、私は「心を壊すかもしれないから」と、止めるようになった。
だけど今は、心より何より、身体を壊すかもしれないから風俗業、という時代になってしまったのだ。そうなると、身体を売ることはより正当化されていくだろう。買う方は、「苦学生を助けてあげる」なんて思うようになるかもしれない。そのことに、私はなんだかすごく、もやもやする。
本書には、私費留学にあてる30万円をなんとか工面するために、デリヘルで働くようになった大学生も登場する。父親はリストラにあい、奨学金とバイトで学費などを工面するものの、時給900円ではどうにもならない。風俗嬢を始めて「やっと普通の学生みたいになれた」と語る彼女は、「もう風俗が良いことか悪いことかは、どうでもいい」と語る。
良いことなのか。悪いことなのか。これも性の商品化をめぐる、一つのキーワードである。だけどそのことを「良い」とか「悪い」とか、誰が断言できるのだろうか。
そんなこんなを悶々と考えていたところ、「性の商品化」を考えるにあたって大きなヒントとなる言葉と出会った。それは「主流秩序」という言葉。季刊雑誌『SEXUALITY(セクシュアリティ)』(エイデル研究所)の73号に掲載されている、「貧困と性的暴力と性的商品被害」という記事の中で出合った。これを書いたのは、立命館大学・神戸大学非常勤講師の伊田広行さん。大学でジェンダー論を担当したり、デートDV防止教育などに励む人だ。
そんな伊田さんが語る「主流秩序」とは、一体何なのか。記事には以下のようにある。
「主流秩序とは、『私たちを取り込み縛っている価値と規範の序列体系』、つまり『その社会の強者による価値観で人のありようを望ましいものから望ましくないものへ並べたもの』で、簡単に言えば『みんなが信じている序列』のようなもののことです。美しい方がいい、学歴が高い方がいい、収入が多い方がいい、恋愛や結婚している方がいい、女らしい方がいいといった価値観で、それが偏差値的に点数で示されています。あの人は美人偏差値が70だ、60だ、50だ、40だというように序列になっています。多くの人は、主流秩序に適応し、その上位に行くことが人生の目標だ、それが幸せだと思っています。論理とか地位とか経済力など、何らかの力で勝つことによって序列の上位に行くのがいいことだ、という価値観も主流秩序です」
伊田さんはそんな「主流秩序」について、「セクシュアルなものを売るように誘導し、その売買で利益を得ることは能力主義の一種で、何ら悪いものではないと皆に思わせています」と論じ、さらに日本では「母国語の文法のように当たり前のこととして信じすぎている状況」とも指摘する。性の商品化について、疑問の声を上げること自体が「おかしい人」と思われてしまうような、この国の空気のことだろう。
では、こんなふうに「主流秩序への従属」が放置されている社会では、何が起きるのか。
「『金への従属と既存の序列を前提に美や性を売り物にしていいという感覚』が、性における暴力的状況(DV/セクハラ、AVやグラビア撮影などでの人権侵害、性的サービスが関連する飲食業における人権侵害、着エロという名のジュニアポルノといった性的な搾取、強者に従属していやなことをしなくてはならない状況)の蔓延(まんえん)をもたらしているといえます。子どもが犠牲の場合、親が金のために加害者になっている例も多く見られる有り様です。
『きれいなことはいいこと』という美の秩序に強くとらわれていて、人を容姿で序列化し、その扱い(対応)を美のランクで決めることがテレビで日々なされ、それが普通の人の日常にも及んでいます。すぐにブスだとか、きれいだ、美人だ、若い/歳とってるという評価がなされ、それで態度が如実に変化し、ブスや若くない者(おばはん)はひどい扱いをして笑ってもいいという風潮になっています。多くの女子もそれを内面化して、やせてかわいい子に憧れ、自分や他者を外見で攻撃しています」
なんだか「性の商品化」問題について突き詰めていったら、「女子の生きづらさ」の一つの原因までもが浮かび上がる結果となった。
見た目偏差値、エイジハラスメント、誰かとの比較などなど。また女子の多くは「若い」とされる時期、「とにかく一番価値の高いうちにお前の性を売れ!」という暴力的なメッセージに、さまざまな形でさらされもする。
この「主流秩序」という言葉について、あなたはどう思っただろうか。
私は、新しい概念が自分の中に生まれたことによって、自分の生きづらさの一つの要因にたどりつけた気がする。
性の商品化問題
(作家、活動家)
2015/12/03