当時、中出し男が「世直し」気分さえ感じていた背景には、あの番組が象徴するような価値観が大きな影響を与えていたと思う。そんな90年代は、「頭の悪いギャル」みたいな言い方が恐ろしいほど市民権を得ていた時代だった。当時読んでいたサブカル雑誌にはエロ系の記事が必ずあったのだが、AVの広告や撮影現場などの記事にもそんな言葉が躍っていた。そうして当時、「鬼畜系」と言われるAVが大流行していたわけだが、なぜあれほど罪悪感なく受け入れられたかというと、「頭の悪いギャルには何をしてもいい」という価値観が日本をうっすらと覆っていたからではないだろうか。
当時、「若い女」の一人だった私は、その手の記事を読んではもやもやした。もやもやしたけど、自分はそんな「頭の悪いギャル」ではないのだと思い込もうとした。その証拠に、「頭の悪いギャル」をバカにするような雑誌を読んでいるではないか。だから私は違うのだ。サブカル文化人と一緒になって「頭の悪いギャル」をバカにする側の女なのだ。そう思おうとして、だけどいつも、どこか納得しない気持ちでいた。
そんな「頭の悪い女には何をしてもいい」という価値観は、多くの実害となって当時の女の子たちを追い詰めた。ナンパされてついていけば中出しされる女の子がいて、友人のギャルは渋谷を歩いていただけで車に拉致された。当時キャバクラで働いていた私にも実害がふりかかった。店の帰りを待ち伏せし、「部屋に入れてよ」と家の近くまで付きまとうストーカー客が怖くて半泣きで交番に駆け込んでも、相手にされなかったのだ。いくら「この人がついてきて困ってるんです。助けてください」と懇願しても、お巡りさんは私とストーカー客を見比べてずーっとニヤニヤしているだけだった。私は警察からも「助けられる」対象に入っていなかった。
2019年1月、『週刊SPA!』(扶桑社)の「ヤレる女子大生ランキング」が「炎上」した。けれど、1990年代はそういうものが当たり前で、「バカな女子大生」「バカな女子高生」というように、女性の前には枕詞のように「バカ」がついた。そういう枠に入れてしまえば、同時に人権もなくなった。「あたし、バカだから〜」と先回りして言う女の子もいた。そういう振る舞いは、特にキャバでは受けた。私はそういう中で、20代前半を過ごした。
どうしてあれほど、若い女というだけでバカだとか頭が悪いという記号をつけられなければならなかったのだろう。今になって、涙が出るほどに悔しい。同時に、今は「ヤレる女子大生ランキング」がしっかり炎上することに、それに声を上げたのが女子大生であることに、心から励まされる。
2018年4月、「#私は黙らない0428」と題された街宣が東京・新宿で開催された。財務省事務次官のセクハラ問題を受けて催されたものだった。その街宣でスピーチした大学院生は、ある映画監督のインタビュー記事を読んだ時の違和感について、語った。プロデューサーから映画監督が言われたという「バカな女子高生、バカな女子大生、バカなOLでもわかる映画を作らなきゃダメなんだよ」という言葉。彼女は怒りを込めて言った。
「なぜ、バカな大学生じゃなくバカな女子大生なんですか。なぜ、バカなサラリーマンじゃなくバカなOLなんですか。なぜ、女性はバカが標準設定とされているんでしょうか」
胸がスッとした。ああ、私はずっと、こういう言葉を聞きたかったんだ、と思った。「バカな女子大生」と言ったプロデューサーは、たぶん、私と同世代か年上だと思う。この世代の男性には、そんな価値観が骨の髄まで染み込んでいる。おそらくロンブーのガサ入れを面白がった世代。
だけど、そんなおっさんが無傷で生きられる時代はもう終わった。気付いてほしいのは、普段からの「何気ない貶め」が、どれほどの実害を生み出してきたかということだ。
「だって、だってこいつらには何やったっていいってテレビでやってたもん!」
中出し男は、もし自分の行為を責められたらそう弁解したのではないだろうか。そんな言い分通らないけれど、メディアがそのような価値観を垂れ流し、社会がそれを容認してきたことを私たちは知っている。それを苦々しく思って口にしても「カタいこと言うなよ」と黙らされてきた歴史がある。
〈安全な中絶、流産を考える日〉に気付いた日本の周回遅れすぎる状況。だけど少しずつ、変わってきているのも確かだ。
次回は12月4日(水)の予定です。