「日本は先進国なのになぜ、中絶が合法なのになぜ、女性に懲罰的な掻爬(そうは)法を罰金のような高額でいまだに行っているんだ。なぜ安全な経口中絶薬を認めていないんだ」(プレジデントオンライン「未だに『かき出す中絶』が行われている日本の謎」、2019年9月27日)
〈安全な中絶・流産について考える日〉である9月28日、衝撃的な事実を知った。日本では中絶の主流となっている「掻爬法」が多くの国ですでに消え、WHO(世界保健機関)も「時代遅れでやめるべき」としているのだという。冒頭の言葉は、産婦人科医の遠見才希子(えんみ・さきこ)氏が、タイで開催された国際会議で海外の参加者たちから言われた言葉として記事で紹介していたものだ。
懲罰的な掻爬法。この記事を読むまで、私は中絶に「金属製の器具で子宮内をかき出す掻爬法」以外の選択肢があることすら知らなかった。が、海外では今や「真空吸引法」と薬剤使用が主流で、WHOもそちらに切り替えるように勧告しているという。
同記事によると「欧米を含む先進諸国では掻爬法はほとんど行われていない」ということで、実施率はアメリカ0〜4%、イギリス0%。しかし日本では、「妊娠初期の中絶の約33%が掻爬法、約47%が掻爬法と電動吸引法の併用」で、約80%で掻爬法が行われているという。
ちなみに経口中絶薬は現在65カ国で認可され、WHOの「必須医薬品」に指定されているそうだが、日本ではいまだに認可されていない。それだけではない。日本の中絶費用が自由診療で10万〜15万円かかるのに対し、フランスやオランダでは無料で中絶を行うことができるという。
かたや日本では、避妊に失敗した場合などに72時間以内に飲めば妊娠の確率を格段に低くできる緊急避妊薬(アフターピル)が認可されたのさえ、たった8年前。しかも海外では薬局などで安く手に入れられるのに対し、日本では産婦人科を受診しなければならず、アフターピルであるノルレボ錠は1万5000〜2万円もする。
日本の常識と海外の常識の違いに言葉を失ったのは、私だけではないはずだ。
そうしてふと、中高生の頃を思い出した。私が中高生の頃、「10代の妊娠」は漫画や雑誌でもよく取り上げられるテーマで、中でも「友達が妊娠したからカンパを集める」というエピソードは青春の一ページのような扱いだった。カンパをめぐり、いじめられっ子がカツアゲされたり援交させられたりということもあれば、妊娠した当人が親にも相手にも言えず自殺未遂を起こしたり、危険な方法で堕胎を試みたりという話はあまりにもありふれていた。そしてそれは決して「漫画や雑誌の世界だけのもの」ではなく、すぐ隣にある話だった。友達や、先輩や後輩の身に起きていることだった。
そんなこんなを、当時の私たちは「仕方ないこと」なのだと思っていた。親の庇護のもとにある少女がセックスをした罰なのだと、たぶんみんなが漠然と思っていた。
だけど、危険な方法で堕胎を試みたり、中絶費用のために身体を売ったりなんて、どう考えたっておかしいのだ。なぜなら、世界には中絶がタダの国もあるように、多くの先進国が「女性の身体を守る」ことを第一に考えている。しかもWHOは「中絶サービスは合法な医療保健サービスとして地位を認められ、女性および医療従事者をスティグマおよび差別から保護するために、公共サービスまたは公的資金を受けた非営利のサービスとして医療保健システムに組み込まなければならない」(「未だに『かき出す中絶』が行われている日本の謎」)と提言している。女性を守ろうというスタンスが鮮明に表れているのだ。
なんだか、涙が出そうになった。周回遅れの状況に置かれた、自分も含めたこの国の女性たちがあまりにも不憫で。日本でいまだに「懲罰的」と言われる掻爬法が続けられている背景には、どこかに「女の安易な中絶を防ごう」みたいな思惑があるのだと思う。だからこそ、「罰」として痛い思いや金銭的な負担がセットになっているのだと思う。
「無料で簡単に中絶できるようにすると女は安易に中絶を繰り返すから罰を与えよう」という男目線の発想。そこに「妊娠させた男」は常に不在で、責任を問われることなどない。意思決定の場に男性しかいないと、このようなことが往々にして起きる。
そうして思い出したのは、高校時代の「中絶」についての授業だ。保健体育の時間に女子だけが教室に残され(男子はサッカー)、掻爬法のやり方について具体的に説明されたのだ。女性教師は女性器や子宮の絵を黒板に描き、執拗に「金属で掻き出す」中絶方法を説明した。それはあまりにもおぞましい描写で、聞いているだけで吐き気がこみ上げるほどだった。「赤ちゃん」という言葉が多用され、恐怖と罪悪感を植え付けようとしている意図が見え見えだった。「だから高校生はセックスなどしないように」ということなのだろう。しかし、窓の外を見れば、「妊娠させる可能性がある」男子生徒たちは校庭でサッカーボールを追いかけていて、「あいつらにこそ、この話聞かせろよ」と思った。
そんなことを、叫びたくなるほど強く思ったのは、高校を卒業してからだ。友人の部屋に複数人が集まって話していた時、初対面の同い年の男が自慢げに話し始めた。その内容は、数日前にナンパした女がすぐにヤラせたとかそんなどうでもいい話で、しかし、男は信じがたい台詞を吐いた。それは「ナンパされてフラフラ男についてってすぐヤラせるような女には、罰として中出ししている」という言葉だった。
視界が真っ赤に染まるほどの怒りがこみ上げた。だけど男は悪気のない顔で「どうせ二度と会わないし」と口にした。驚いたのは、その男が続けて言った「それくらいしないとそういう女はわからない」という台詞だった。話しぶりから、男の中ではその行為が「バカな女にお仕置きをするという形で世直しをする俺様」というようなストーリーになってるっぽく、一体どこから突っ込めばいいのかわからなくてただ目を白黒させた。
時代は1990年代後半。「バカな女にお仕置きをする」というのは、当時の「公共の福祉」の一部と言っても過言ではなかった。あの時の中出し男を思い出すたびに頭に浮かぶのは、当時人気だった『ぷらちなロンドンブーツ』(テレビ朝日、96年4月〜97年9月)という深夜番組だ。特に「ガサ入れ」というコーナーは話題になっていた。男性から「彼女の浮気調査」を依頼されたロンドンブーツの二人が女の子の部屋を「ガサ入れ」する。浮気が発覚すると、二人は「悪を成敗」したかのように振る舞い、女の子はバツが悪そうに俯く。
私はこの番組が大嫌いだった。なぜ、女だけが「ガサ入れ」されるのか。なぜ、男は調査対象とならないのか。そして「ガサ入れ」し、浮気している女性に偉そうな態度をとる二人が、どれほど「清廉潔白」だというのか。なぜ、いつも女だけが罰されるのか。まるで、夫が浮気しても罪に問われないけれど、妻が浮気した場合だけ罪に問われる「姦通罪」のように。