これは新人時代のトラウマもある。25歳でデビューした私は、20代の頃、「仕事の話」としてメディア関係者に呼び出されては、延々と仕事に関係ない話を聞かされたり、二人っきりでやたらムーディーな店に連れて行かれたりした。口説いてきた大馬鹿野郎もいた。こっちは「仕事の話」と聞いているから行ってるのに、酔った相手は「仕事と関係なく話したい」などといった寝言をお抜かしになるのだ。仕事と関係なければ誰がお前なんかと会うか、というような相手に限ってそういう汚い手を使う。今思い出しても本当に悔しい。まごうことなき悪質なセクハラだが、20年前、そんなことはザラにあった。
それにしても、と思う。なぜ、一部の「おじさん」はこんなに会食が好きなのだろう。例えば出版関係者でも、「一面識もないのにご飯に誘ってくる女性」と会ったことは私の場合、一度もない。おそらく、「知らない相手から食事に誘われる」怖さを理解しているからだと思う。
突如「ご飯でも」と誘ってくるのは全員おじさんだ。なぜ、彼らは、見ず知らずの相手とご飯を食べるのが平気なのだろう? そう思って、気づいた。おじさんの生きやすさ、居心地のよさは、多くの場合、おじさん以外の人間の我慢によって成り立っているということを。だからこそ、おじさんだけが楽しい会食をおじさんは好きであり、それ以外の人は苦痛に感じるのだろう。それなのに、当のおじさん自身はそんなふうに誰彼構わず誘う自分を「コミュ力がある」と思っていたりしそうでタチが悪い。
さて、そこまでおじさんを警戒するのには、物書きになる前、数年ほどキャバクラで働いていたということもある。その際、客につきまとわれる、あとをつけられる、脅されるなどさんざんひどい目に遭ってきたからだ。
そんなおじさんの中には、「若い女」とみればどこまでも搾取し尽くす習性を持つ人がいることも知った。例えば中野のキャバクラで働いていた頃、とにかく「女の子と安く会話をすること」に命を賭けている客がいた。激安キャバでも飽き足らなくなったその客は、ある日遂に「タダで若い女の子と話せる秘策」を編み出したと嬉しそうに報告してきた。それは中野や高円寺など中央線沿線にいる、ストリートミュージシャンの女の子と話すこと。
「あっちはタダで喋ってくれるんだよ。曲褒めてあげたら愛想よくしてくれるし、キャバの子と違って正直で素朴だし」
嬉しそうに話すおじさんを見て、「若い女」に付随するありとあらゆるものをここまで搾取し尽くす姿勢に恐怖すら感じた。
もちろん、「女の子と会話すること」が商売として成り立つこと自体もおかしいと思う。そこで働き、自分自身一時は恩恵を受けたという事実もある。だけどそんなふうに「タダで女性と喋ること/それ以上のこと」を目当てにしているおじさんたちは今、女性作家の展覧会に現れる「ギャラリーストーカー」なんかの形で問題化していて、多くの女性たちを恐怖と不快感に陥れ、また多大な迷惑をかけている。
そんな国で生きて、数年間キャバクラで働いていた経験があれば、どうしたって「ご飯行こう」なんて言ってくるおじさんを警戒してしまうのだ。
そんなこんながあって、「政治界隈」っぽい会食を断り続けていたところ、誰にも誘われなくなった。本当に平和でありがたいことだ。
だけど、思う。私がもし「飲み会を絶対に断らない女」として積極的に「権力者」(政治家に限らない)の飲み会に参加し、お酌とかして、それで何か変わったのだろうかと。
有力政治家と懇親を深め、貧困問題を政策課題の最優先にしてもらって大幅に予算をつけて解決、などとは絶対にならなかった自信がある。では何が変わるのかと言えば、私だ。私が彼らの文化に染まるだけだったと思うのだ。そうしてやたらといろんな人を「会食」に誘って、そういう「人脈作り」が目的化して「何やってるんだかよく分かんないけどそういう業界に寄生してる人」になっていたかもしれない。
そう思うと、「親睦」なんて深まらなくても物事は進むべき、という当たり前がなされてほしいとつくづく思う。政策立案の場に、親睦など無用だと思うのだ。
東京オリンピックの森喜朗組織委会長の辞任がメディアを賑わしていた頃、「森さんじゃないとオリンピック開催なんてできない」「森さんの人脈と立場だからこそいろんな交渉がうまくいった」なんて声がメディアのあちこちから上がった。しかし、特定の立場の人の、おそらくさまざまな利害が入り組んだ「人脈」がないと物事が進まないこと自体、民主主義に逆行しているのではないだろうか。
当然、そこには莫大な利権が生まれる。それによって多くのことが歪んでいく。だからこそ、そういうやり方は危険だと思うのは私だけではないだろう。
ということで、ここまでさんざん「おじさん」が嫌だ、みたいなことを書いてきたが、私には一緒に飲みたい、大好きなおじさんもたくさんいる。そういうおじさんに共通するのは、「圧」がゼロであること、そして押し付けもゼロであることだ。そんなおじさんは共通して金も権力もないが、「愛されるおじさん」の周りにはいつも老若男女問わず、多くの人がいる。
激安居酒屋でそんなおじさんたちと飲みながら、私もそんな「愛されるおばさん」になりたいと、いつも思うのだ。
次回は6月1日(火)の予定です。