年寄りは冬を越すのも一苦労一一。
そんなことを昔からよく耳にしてきた。
特に私が生まれ、高校卒業まで暮らしたのは北海道。気温が平気でマイナスを下回る北国では、凍てつく寒さや屋内と野外の寒暖差は、高齢者でなくとも身体に堪えるものである。
ちなみに私は小さな頃から寒いのが大の苦手。とにかく寒くなくて雪がない場所に住みたいと思い続け、高校を出てすぐに上京した。
が、北国でなくとも日本にいる限り、「冬」という季節からは逃れられない。全国どこにいようとも、この季節はヒートショックやインフルエンザ、ノロウイルスなどが脅威となる。
そんなこの冬、私の周りでは「冬を越すのも一苦労」な体験をする同世代が多く生まれた。
例えばコロナに罹患後、治ったと思ったら今度はインフルエンザに罹り、年末年始の予定がすべてパーになったという人もいれば、インフルエンザでずっと寝ていたせいかぎっくり腰になり、1カ月ほどほぼ寝たきりで過ごしたという人もいる。
今年の1月に50歳を迎えた私の周りから続出する、「冬に撃沈させられる」人々。これが加齢か……と思ったものの、病気ネタは命に関わらない限り中年にとって一番盛り上がる話題でもある。
ちなみに10代、20代の頃、「死にたい」と言い合っていた友人と「痩せたい」と言い合うようになったのが30代後半頃。若かりし頃、リストカットをしていた友人はヘモグロビン値を気にしていたが(リストカットのしすぎで貧血になり、ヘモグロビン値が低くなると心臓に負担がかかり危険と言われていた)、今気にしているのは血糖値や尿酸値。そんな事実に気づくたびに、「私たち、生き延びたよね」としみじみ呟く。
が、中年になったことを寿いでばかりはいられない事態が唐突にやってきた。
1月はじめ、頸椎を痛めてしまったのだ。
いや、最初はどこを痛めたんだか、それさえもわからなかった。
原因ははっきりしている。片手に重いスーパーの袋を提げたまま、顔の高さで南京錠を解錠、ということをやった瞬間、「あ、やべ」って感じになったのだ。
それでも、最初は痛みはそれほどでもなかった。腕を上げようとすると肩と背中が痛いな、くらいだった。
「もしかしてこれが四十肩とか五十肩ってやつ?」
そう思いつつも、「すぐに治るだろ」と放っておいた。
しかし、なかなか治らない。たまに行く整骨院に行ったところ、少しよくなったので「これでもう大丈夫」と油断したのがよくなかった。そうして勝手に「動かした方がよくなるだろ」と思ってヨガに行ったのが決定打となった。
翌日、目が覚めると身体が、具体的には上半身がまったく動かなくなっていたのだ。金縛りにあったかのようにびくともしない。無理に動かそうとすると、首から肩、背中にかけて激痛が走る。それだけではない。少し首を動かすだけでおよそ人体から発されるとは思えない、工事現場のような音がするではないか。
その上、ひどい頭痛がして、吐き気までする。
なんなのこれ……。自分の身体で何が起きているのかまったくわからず、今度はマッサージに行った。が、2回行っても全然よくならない。
この時点で病院に行けばよかったものの、初めての経験ゆえ、何科に行けばいいのか、またこれが病院に行く種類のものなのかそこからもうわからない。そんなことをしているうちに、痛みは首や背中だけでなく、腰や足にまで広がっていった。
それから数日後、やっとたどり着いたのが整形外科。
レントゲンを撮ったところ、頸椎を痛めているとのこと。筋肉のこわばりをとる薬や手足のしびれに効く薬、痛み止めなどなど何種類もの薬が処方され、まずはそのことに驚いた。それほどの薬が必要な事態だなんてまったく思っていなかったのだ。
そうして湿布を貼り、薬を飲んだところ症状は改善に向かい、やっと一息つくことができたのだった(ちなみにもともとストレートネック一一スマホの見過ぎなどでなるアレ一一があったところに無理な姿勢がたたって痛めてしまったらしいのでこれを読んでるすべての現代人は要注意)。
ここまでで、約2週間。
その間、世界は激動の中にあった。
アメリカの選挙で勝利したドナルド・トランプ氏が再び大統領に就任。それと同時に夥しい数の大統領令に署名。移民や難民に厳しい姿勢を打ち出し、トランスジェンダーを「なきもの」とするような態度を取るだけでなく、多様性や公平性も軽んじた上、気候変動もスルーという、これまで積み上げてきたものをブルドーザーで軒並み踏み潰していくような光景が出現していた。
国内に目を転じれば、中居正広氏の「性加害」問題が大きな注目を集め、フジテレビの「動画禁止」会見が大きな批判を浴びていた。また、イスラエルとハマスが停戦に合意するなどの大きなニュースも飛び込んできて、世界は文字通り「激動」していた。
しかし、どんなニュースを見ても「首が痛い」しか考えられず、それについて「考察」するなど夢のまた夢。それだけでなく、腕の痛みでパソコンすらまともに打てない状態だ。
それほどの満身創痍なのに、「なぜ社会問題などを取り上げているお前はこの問題にダンマリなのだ、意見を表明しろ」などといった声が届いたりする(匿名の知らない人から)。いや、こっちだってそうしたいけど、それどころじゃないのだ……。
起き上がることもつらく、無念のままベッドで天井を見つめる日々の中、思った。
もし一生、このまま治らなかったら一一。私はあっという間に仕事を失うだろう。
そう思って、「貧困」への扉はすぐそばにあることをまざまざと感じ、心底ゾッとした。
今の生活が奇跡的なバランスの中で成り立っているだけで、ほんの少しのボタンの掛け違いで崩れてしまうものなのだ。本当に、頚椎のほんの少しのズレとかで。
しかもこの時の私は仕事どころか最低限の家事さえもできない状態。これほどにままならないことがあるなんて。