選択的夫婦別姓の法制化がなかなか進まない。
財界も求めているというのに、そして賛成する人の割合は83.9%にものぼる(国立社会保障・人口問題研究所を中心とした研究チームによる大規模調査「家族と性と多様性にかんする全国アンケート」2023年)というのに、一部の議員の反対の声が根強く、成立していない。
ここで基本的なことをおさらいすると、「選択的」とあるように、夫婦同姓がよければ同姓を、別姓がよければ別姓を選べるという制度だ。
全員が強制的に別姓になるわけではないのに、なぜ選択的夫婦別姓の導入に強固に反対する人がいるのか。
ちなみに一般社団法人「日本経済団体連合会(経団連)」はこの制度の導入を求め、政府に提言(「選択肢のある社会の実現を目指して~女性活躍に対する制度の壁を乗り越える~」24年6月)までしている。その理由は、旧姓の通称使用(結婚後、女性が夫の姓にするーー逆もアリーーなどしても、仕事上は旧姓を名乗り続けること。ちなみに夫婦の95%が夫の姓を選択)がビジネス上のリスクにもなりえるから。
トラブルになる例として挙げられているのは、以下のような事例(朝日新聞SDGs ACTION!「経団連、選択的夫婦別姓の実現を政府に提言 「旧姓の通称使用、ビジネス上のリスクに」24年6月19日)。
〈多くの金融機関では、ビジネスネームで口座をつくることや、クレジットカードを作ることができない。(契約・手続きでの事例)〉
〈国際機関で働く場合、公的な氏名での登録が求められるため、姓が変わると別人格としてみなされ、キャリアの分断や不利益が生じる。(キャリアに関する事例)〉
〈社内ではビジネスネーム(通称)が浸透しているため、現地スタッフが通称でホテルを予約した。その結果、チェックイン時にパスポートの姓名と異なるという理由から、宿泊を断られた。(海外渡航の事例)〉
どれもこれも、重大な仕事の阻害要因である。それなのに進まない選択的夫婦別姓。もう21世紀だというのにだ。
ちなみに反対派が持ち出してくるのは「家族の絆が失われる」「子どもがかわいそう」というような言い分だ。
そのようなことを主張するのは保守政治家なわけだが、それでは夫婦別姓が日本の伝統・文化に基づいているのかといえば決してそうではないことをご存知だろうか?
例えば「名字」が義務化されたのは今から150年前。明治政府によって「自今必ず苗字を相唱うべし」と布告された日からちょうど150年後の朝日新聞「天声人語」(25年2月13日)には以下のように書かれている。
〈さて、その後のことだ。妻の名字はどうするのかと地方から問い合わせがあった。政府の答えは「婦女、人に嫁するも、なお所生の氏を用ゆべき事」。女性は結婚後も以前の姓を名乗るべし、と公式に通知された。いわば夫婦別姓である。夫婦同姓に改まったのは、その約20年後の明治民法から。この制定は西洋の影響が大きかった、と政治学者の中村敏子さんがかつて本紙で語っていた。つまり、夫婦同姓は約130年前に生まれた「創られた伝統」に過ぎない〉
別姓反対派はその理由に「日本の伝統」を持ち出してくるが、伝統でもなんでもなく、「西洋の影響」だったというのである。
ちなみに私は20代前半の2年間、いろいろあって右翼団体にいたという稀な経歴の持ち主だ(1990年代後半)。この経験から、保守の人々がどれほど「皇紀」を大切にしているかを肌感覚で知っている。そんな皇紀で数えると、今年は2685年。それを思えば夫婦同姓の歴史などわずか100年ちょっとに過ぎず、「ど新規」の制度なのである。
さて、それでは天声人語に出てくる中村敏子さんがどう語っていたのか、見ていこう。
ちなみに中村さんは政治学者、法学博士。『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書、2021年)などの著書がある。以下、朝日新聞21年7月6日に掲載された「(私の視点)歴史にみる夫婦の名字 同姓は『伝統』と言えない」からの引用。
文章は、選択的夫婦別姓をめぐり最高裁大法廷が別姓を認めない現行法を合憲と判断した(21年6月23日)結果を受け、夫婦同姓が本当に「日本の伝統」なのか歴史的事実から考えるとして、以下のように続く。
〈江戸時代には、公式に名字を持っていたのは武士以上の階級に属する人々だけだったが、武家の女性は結婚後も実家の名字を名乗っていた。平民に名字の使用が許可されたのは明治3(1870)年のことだ。翌年、戸籍法を定めて氏名によって国民を把握しようとした際に、妻の結婚後の姓をどうするかが問題となった。そして明治9(1876)年の太政官指令によって、妻は嫁入り後も「生家の氏」をとなえるべきものと定められた。当時の日本人が、姓はそれぞれの人の出自を表すと考えていた、ということを示している〉
さて、そんな中、「夫婦同姓」が導入されたのはそれから約20年後のこと。
〈明治31(1898)年に「妻は婚姻によりて夫の家に入り」「その家の氏を称す」と定める明治民法が制定された。これは「夫婦一体」という結婚観によって同姓を強制していた西洋の影響が大きい〉
出た。再びの「西洋の影響」という名の西洋かぶれ。
そうして文章は以下のように続く。