私はこういう関係がとても重要だと思う。なので、今に至るまで民間の保険とかには入ったことがない。そういうものより普段からの顔見知りとの助け合いの方がいざという時に役に立つ気がするからだ。
今、改めて、思う。
見沢さんが生きてるうちにこういうことを知っていたら、できることがあったのかもしれないと。
「作家・見沢知廉」としてだけでなく、本名の「高橋哲央」として生きる場があれば、きっと今も生きてる気がして仕方ないのだ。そして小説なんか書けなくても、本名の高橋哲央が生きてるだけで嬉しい人たちはたくさんいたのだ。だけど見沢さんは「作家・見沢知廉」としてだけ生きることを望んでいた。そしていつも、自分の死は「野垂れ死に」だと言っていた。それこそが作家のあるべき姿だと。
今年(2023年)で見沢さんが亡くなって18年。気がつけば、46歳という彼の亡くなった年齢を私は超えてしまった。
この歳になると、自分が多くの死者に支えられていることをしみじみと感じる。