そんな梶原氏だが、ある日、母親に父親についての真実を知らされる。
そこからの展開も凄まじいのだが(読んで)、やはり本書にはところどころ、「文化資本」の高さが顔をのぞかせる。いや、これはただの私のひがみでありやっかみである。が、どうしても、そういうところがつい目についてしまうのだ。
例えば梶原氏は中学生になると役者を目指し、高校生の作った劇団に入る。
「私、役者になることにした」と母に報告すると、母は「古い友達」のところに連れていってくれるのだが、それは映画監督の若松孝二氏。「ピンク映画の黒澤明」などと言われ、『愛のコリーダ』(日仏合作、1976年)をプロデュース、2010年には寺島しのぶ主演の『キャタピラー』(若松プロダクション)が大きな話題となった。その稀代の名監督がなぜ母の「古い友達」なのか。
そんな若松氏が会ってそうそう中学生の梶原氏に教えたのが、「男と二人で写真は撮るな」ということと、「ギャラは取っ払いのお車代で源泉徴収ナシ」のふたつ。
本書にはこのように、父親が元役者で潜伏中の活動家であるからこそのありえない人脈が登場し、そのたびに羨ましいやら妬ましいやらで地方出身者のルサンチマンが刺激されまくるのだが、そんな中でちょっとほっこりしたのが、中学時代の彼女がしっかり尾崎豊とブルーハーツとリヴァー・フェニックスにハマっている描写。
いやいや、サブカル好きな同世代が悶絶するようなアングラ人脈の中にいるのにそこに行くんかい! と思わず突っ込んでしまったのだが、この面々にハマっている人なら北海道の田舎町にもたくさんいた。ぐっと梶原氏を身近に感じた瞬間だ。
さて、あまり詳しく書くとネタバレになってしまうのでこの辺にしておくが、私はよど号娘たちとの付き合いから、「親がハイジャッカーで国際指名手配犯って本当に大変」ということは痛感していた。
そもそも北朝鮮で20年以上過ごして日本に適応するのは並大抵のことではない。しかも02年からは、親が「拉致疑惑」の渦中の人となったのである。娘たちにも心ない言葉が多く投げつけられたことも知っている(もちろん、拉致問題の早期解決が重要であることは言うまでもないし、よど号グループはすべてを明らかにすべきとも書き続けてきた。が、子どもたちに罪はない。それに彼女らはさまざまな事情で早くから親元を離れていたのだ)。
また、私は元赤軍派議長の塩見さんの息子とも同世代なのだが、会ったこともない息子に、ずっと勝手に同情していた。
なぜなら、生まれてから20歳頃まで父親は刑務所。出てきたと思ったら亡くなるまでの30年近く、「世界同時革命」を本気で目指していたからである。お父さんが一生「革命」とか言って全身全霊で反権力・反体制だったら。子どもはおちおち反抗期も迎えられないのではないだろうか。
しかし、この本を読んで、「親が爆弾犯で潜伏生活をしているのも大変」ということがよくわかった。文化資本が高いところは羨ましいが、それ以外は苦労が絶えない。何しろ、父親は働くことができないので、母親が生活を支えなくてはならないのだ。
もうひとつ、思ったことがある。それは私たちが知らないだけで、同世代の「人民の子」って実はたくさんいるのでは……ということだ。
さて、その後、何をどうしてどうやって彼女が脚本家となったのか、そしてこの家族がどうなったか知りたい人は、ぜひ『爆弾犯の娘』を手に取ってほしい。
掛け値なしに面白い一冊であることは、私が保証する。