30代でいられるのもあとわずか。40歳まであと2年。まさに未知の領域に突入しつつあるわけである。
小さい頃に思い描いていた38歳といえば、当然結婚し、子どもも2人ぐらいいたりして、中学生になった反抗期の息子(うっすらとヒゲなんか生えてきて小汚く、毎晩オナニーばかりしている)に「お前なんか親じゃない」と殴られる、という日々を思い描いていたものだ(小さい頃からネガティブだった)。
しかし、現在の私は、猫2匹を抱えた単身者。文筆業という、よくわからない仕事で生計を立て、地に足のつかない暮らしを続けている。
そんな記念すべき38歳の誕生日前日、あるバンドのライブを観に行った。それは、大槻ケンヂ氏が率いるロックバンド「特撮」。
2000年に結成された特撮は、06年に活動休止。それが、満を持して11年にライブツアーを再開した。今回のライブは、私にとって実に7年ぶりの特撮だったのだ。ということで懐かしい気分に浸り、新曲も楽しみつつ最高の時間を過ごしたのだが、ライブに行って、つくづく「私、成長したな」と感慨深くなった。
なぜなら、今からさかのぼること約10年前、やはり誕生日の当日に特撮のライブに行き、トンデモない事件を起こしてしまったからだ。
当時の私は20代後半。その時につき合っていた彼氏とともに「お誕生日デート」としてライブに行ったのだが、その後で彼氏と大げんかとなり、酔っぱらった私は泣いてわめいて大騒ぎ。そのうえ、一人で暴れて転んでしまい、足から大流血して救急車で運ばれるという、最悪の事態となったのだ。
なぜそうなったのか、理由ははっきりしている。当時の私は、大槻ケンヂ氏の声を聞くと、「過去の暗い記憶」が怒濤の勢いであふれ出して「トラウマ大放出祭り」が始まってしまう、という症状を抱えていたからである。
このあたり、わかる人には説明しなくてもわかっていただけると思うが、中学時代から大の大槻ケンヂファンであった私は、彼のファンの多くがそうであるように、まぁ今風にいえば「非・リア充」だった。
学校では、存在を忘れられていればまだいいほうで、へたに思い出されるといじめの対象になる日々。そんな状況だからなのか、「自分はこいつらとは違う、特別な人間なのだ」という妄想に取りつかれるも、とりたてて彼らと自分を差別化できるものなど何もない。
自分を低く見ていじめる同級生たちを馬鹿にしているのに、そいつらに馬鹿にされるという屈辱感。そんな私の気持ちを、すべて代弁してくれていたのが大槻ケンヂ(オーケン)様だったのである。
高校生になると、オーケン様はエッセーや小説を出版するようになり、さらにハマった。ということで当時の私は、真っ暗な部屋でひざを抱えながら「この世のすべてを燃やし尽くしてやる!」というような歌詞の曲を聞いて、暗い笑みを浮かべるという、まぁ一言で言うと「夜道で絶対に遭遇したくない」タイプの女子高生だったのである。
そんなドロドロな10代後半を過ごしたため、以降、後遺症に苦しむことになる。オーケン様の声も曲ももちろん大好きなのだが、曲を聴いていてちょっとでも気を抜くと、「あの頃」の辛い記憶が、恐ろしいほどのリアルさでフラッシュバックするのだ。
で、約10年前のバースデー当日。よりによってお誕生日デートで訪れたライブで、私の「トラウマ祭り」が始まってしまったのである。
その日のライブ後のディナーも、どういう展開でけんかになったのかも、覚えていない。しかし、とにかく20代後半だった私は「傷ついた10代の少女」に戻っていた。そしてその傷を、私の中高生時代など知りもしなければ、なんの関係もない彼氏に、「なんとかしろ!」と迫ったのである。
今から思えば、どういう種類の罰ゲームだろうかと、ほとほとあきれ果てるばかりだ。しかし自分に対する自信のなさの塊だった私は、そんな私を受け入れてほしかったのだろう。絶対に遭遇したくないタイプの押し売りである。
あれから約10年。38歳の誕生日前日の私は、「トラウマ祭り」を起こすことなく特撮のライブを楽しみ、ライブの後は一緒に行った友人たちと酒をかっ食らって楽しく飲み、日付が変わった瞬間に祝ってもらった。
翌日目覚めて、暴れもせず、無傷で、救急車で運ばれてもいない自分を確認し、「私はなんて大人になったのだろう」と心から自分を称賛したくなった。
そして気づいた。手っ取り早く幸せになる方法を、だ。
それは常に「過去の最悪だった時と今を比較する」ということだ。
私の場合、誕生日に救急車で運ばれないというだけで、何かもう、天にも昇る心地である。
バースデーは別の日にも祝ってもらい、ちょっと嫌なこともあったりしたのだが、「救急車に比べれば全然どうでもいい」、と流すことができた。ちなみに「ちょっと嫌なこと」の内容は、「お誕生会で友人に借金を申し込まれる」という生々しいもの。が、プレゼントをもらってしまい、祝ってもらった手前、なんとなく断りきれなくなって貸してしまったのだった。
戻ってくる確率は1%以下。もらったプレゼントは、貸した額の100分の1程度のもので、どうにも高い誕生日プレゼントとなったのだが、まぁそれも「救急車で運ばれる」に比べれば大したことではない。
というか、「この世のすべてを燃やし尽くしてやる!」系のテンションで10代を過ごした女が、まがりなりにも38歳まで事件の一つも起こさず、人も殺さずに無事に誕生日を迎えられたことを思えば、救急車だって大したことではないのだ。
ということで、女一匹、38歳。40歳を目前にして、自分への期待値をとことん下げる、という方向で幸せに少しでも多くありつこうとしている。
次回は3月7日(木)、テーマは「恋が終わる瞬間」の予定です。