「政治とカネ」問題の渦中にある徳洲会グループから都知事へのお金、ということで、誰もが「選挙運動用か、その後の政治資金か」と想像する。だとすると、選挙運動に関する寄付や収入は報告書に記載するよう義務づけている公選法や政治資金規正法に抵触する可能性がある。
しかし猪瀬氏本人は、「あくまで個人の借入金。一銭も手をつけずに返した」と繰り返し説明し、個人としての「借用書」も提示した。「ウラ金、ヤミ献金などではない」と言おうとしているのだ。もちろん、徳洲会サイドから猪瀬氏が書いた選挙資金などを要求する文書が出てくれば別だが、いまの時点では立件はむずかしいと言われ、猪瀬氏自身も辞任を否定している。
思い出してみると、生活の党代表の小沢一郎氏にもかつてウラ金の容疑がかけられ、公設秘書が逮捕、起訴され、本人も検察審査会によって強制起訴されたことがあった。しかし、裁判の過程で検察の資料に多くのねつ造が判明するなど、ウラ金疑惑への小沢氏自身の関与じたいが仕組まれた可能性が高いことがわかり、検察は信頼を大きく損ねることになった。
小沢氏の問題が報じられたときは、世論の反応は「やっぱり」「すぐに辞任すべき」というものであったと記憶している。小沢氏は当然、はじめから「ウラ金ではない。政治資金として記載している」と主張していたが、それを信用する人は少なかった。また小沢氏への疑惑じたいが検察のねつ造である可能性が高いとわかってからでさえ、「どこかにブラックな部分があるから目をつけられるんだ」と小沢氏サイドに非があるように言う人がいた。事実か否かとは関係なく、「あの人なら悪事を働いていてもおかしくない」という世間の先入観によって、クロかシロかがあらかじめ決まってしまうのだ。
猪瀬氏の場合は、世間が「いまこの人を責められない」と思う材料がそろっている。東京オリンピックの招致成功、長年連れ添った妻の急逝、そして「辞任に追い込んだとしてもほかに適任がいないのでは」という切実な現状。誰もが「5000万円も個人用に借りるだろうか。それも政治と直結している徳洲会からなんて不自然だ」と疑いながら、どこかで「これ以上、追及して辞めさせても誰も得しない」と計算している。「これまでよくやってきたじゃないか」と功績を評価する人さえいる。
本当は、「政治とカネ」の問題は、「ふだんよくやっている人なら多少のことは見逃す」とか、「かねてから怪しいと思われる人の場合は、徹底的に追及する」とか、本人の人柄や功績によって追及の厳しさを適宜、変えてよい問題ではないはずだ。大切なのは、「事実はどうなのか、法律に抵触しないのか」というその一点。オリンピック誘致と政治資金提供問題にも、本当は何の関係もない。「まあ、かわいそうじゃないか」という世間の声に押されておかしな手ごころを加えることなく、担当している東京地検特捜部にはきちんと捜査してほしいと思う。