2014年1月27日、私は39歳となった。
40歳に王手がかかったこの年齢を迎えるにあたり、私自身、どんな気持ちになるのだろうと思っていた。ちょっとは不安もあった。なんとなく、落ちこんでしまうのでは、という不安。が、39歳になって1日経った今、私は自分でも面倒なくらい、やたらと元気だ。
なぜなら、都内の激安中華料理店に友達を10人ぐらい呼んで、盛大に「誕生日パーティー」を開催したからだ。午後8時から始まった飲み会は翌朝5時まで続き、そんな中で「奇跡」が起きた。
その奇跡とは、なんと、私が10代の頃から好きで好きで仕方なかったミュージシャンのX氏が、誕生日パーティーに来てくれたこと!!!
なんというか、少女漫画の王道パターン! 都合のいい恋愛映画にありそうな展開!! というか、20年越しのストーカー女が考えそうなストーリー!!
そんなことが現実に起きてしまったのである。
ことの発端は数日前。考えてみれば、その日も奇跡が起きたのだ。
なんとX氏が、ツイッターで私ごときをフォローしてくださったのである。
X氏と面識はあった。2年ほど前、脱原発デモの集会で対談させていただいたことがあったのだ。そう、言うなれば私とX氏は脱原発運動の同志。以降、2度ほどその界隈(かいわい)でお会いしたことはあったものの、いつも極度の緊張のあまり挙動不審になり、まともな会話など不可能だった。
一度など「ファンです」ぐらいで済ませておけばいいものを、「いかに大好きだったか」を示したいがあまり、過去、X氏に対して行っていた痛々しすぎる追っかけ行為の数々を本人に告白。そのうえで、20年前のストーカー行為について突然、謝罪。X氏だけでなく、周囲の関係者や自分自身も戸惑うほどの、危険人物ぶりを露呈してしまったのだった。
そう、そんなふうに本人を前に土下座したくなるほど、10代の頃の私は「X氏の追っかけ」という迷惑行為に命をかけていた。
とにかくX氏のバンドが好きで好きで仕方なくて、X氏を一目でも見たくて、彼らが私の地元・北海道にくるたびに入り待ち出待ちし、文字通り「地の果て」まで追っかけた。ライブのあとは血眼になって彼らが打ち上げをしている場所を探し、見つかったら店の前でただひたすら待ち続け(店から出てくる一瞬でも、その姿を見たかった)、泊まっているホテルを探し当てれば、その前の道ばたで野宿した。真冬の北海道で、マイナス13度の中、野宿したこともある。
なんのために?という問いは愚問だ。だって、好きなんだもん!
少女だった私は、思春期の人生の「うまくいかないこと」すべてを、X氏のバンドにハマり、X氏を追っかけることで忘れようとしていた。そうして、いつもいつも、X氏が「つまらない日常」から私をどこか遠くに連れ去ってくれることばかり夢想していた。
だけど、そんな奇跡は起こらないまま、私はいつしか少女ではなくなり、等身大の恋をして、気がつけば「X氏の追っかけ」が人生の最優先事項ではなくなっていた。
それから、20余年。
X氏と「対談」という形でご一緒させていただき、ツイッターでフォローまでしていただいた私は、一世一代の勇気を振り絞ってパーティーに彼をお誘いしたわけである。といっても、私の誕生会だということは、「重い」ので伝えなかった。ただ、たまたまその会には、X氏が興味を持っていそうな某文化人男性が来ることになっていたため、その人を含めた食事会であることをお伝えしたのである。
そうしたら、なんと「来てくれる」というではないか! それから数日、生きた心地がしない日々を過ごした。
どんな話をしよう。どんな服を着ていこう。悩みはそんな乙女なものから始まったのだが、考えれば考えるほど、様々な不安が込み上げる。
そもそも、私がツイッターでやりとりしているのは、本当に本人なのだろうか? もしかしたら誰かがX氏になりすまして、私をからかっているのではないだろうか? いやそれよりも、よくわからないオッサンがX氏になりすましていて、本当にパーティーに来てしまった場合、どうすればいいだろう? しかもちょっとX氏っぽい感じの服装や髪型で、「俺はXだ」と言い張ったら、どう接するのが正解なのだろうか? 下手に「違うだろ!」とか言った場合、逆上して無差別殺人とかにならないだろうか?
そうして、迎えた当日。
予定の時間より少し遅れて、都内激安中華料理店に、本当に本当にX氏が現れた。マネージャーさんを伴って、私の神が降臨なさったわけである。
それからのことは、ほとんど覚えていない。
ただ、今、私のiPhoneには、X様と映った写真が納められている。中には、X様と一緒にバースデーケーキを持ったものもある。酔っぱらった友人の強引な勧めで、X様と一緒にケーキのろうそくを吹き消した動画もある。
おそらくこのiPhoneを落としてしまった場合、よくわからないけど、私はいろいろと人生とかどうでもよくなって、翌日ぐらいにはアメリカ大使館に自爆テロとかする気がする。
そうして午前2時過ぎ、X様は神の国にお帰りになられたのであった。本当に夢のようで、すべての記憶があいまいだけど、一つ「X様を好きでいてよかった」と心から思った言葉を覚えている。
それはX様降臨からしばらく経った頃。
「そっかー、39歳の誕生日か」
しみじみとそう言われたX様は、ふと私の目を見ると、言った。
「雨宮さん、女は40からだよ! これからがもっと面白くなるよ!」
私のハートが撃ち抜かれた音が、確かに、聞こえた。
なんとなく、39歳になるのが嫌だった。40代を迎える日が近づいていることも、少しだけ、怖かった。
だけど、X様の一言で、すべて吹き飛んだ。
「女は40から!」
そうなのだ、30代なんてまだまだガキである。
ちなみに私の知人の評論家のナイスミドル男性の口癖は、「40以下の女は女と認めない」だ。30代など、幼稚園児程度にしか見えないのだという。その人に特別な感情などなかったため、「ふーん」くらいにしか思ってなかったけど、X様に「女は40から」と断言された今、早く40代になりたくて仕方ない。
大好きなミュージシャンに祝ってもらった誕生日。
今、しみじみと思う。いろいろ、自分なりに頑張ってきてよかった、と。だって、私がただの追っかけのままだったら、絶対にX氏から30代最後の誕生日を祝ってもらうことはなかった。
前回の『ビバ! 熟年恋愛』で、西原理恵子さんの言葉を紹介した。
「医者と結婚したいなら自分が医者になる、弁護士と結婚したいなら弁護士になる。それくらい対等な立場にならないと、いい熟年恋愛はできないと思うよ」
別にX氏とどうこうなどと、恐れ多くて考えたこともないけれど、ただ、私は自分の大好きなアーティストと「対等な立場」で会えたらどんなにいいだろうと、10代の頃からずっと思ってた。
何かを書きたい、物書きになりたい。そう思った一番の動機は「自分を表現したい」という思いだったけど、それと同じぐらい、「自分の好きな表現者の人たちと話してみたい、仲良くなりたい」という下心もあった。
そんな下心は、とても重要なものだと思う。
会いたい人に会えること。それは私が生きるうえで、最も大切にしている価値である。
さて、今日から30代最後の1年が始まった。
カッコいい40代になれるかどうかは、1日1日にかかっている。
ハッピーフォーティー目指して、女を磨く所存である。
次回は3月6日(木)、テーマは「人生の転機」の予定です。