女・39歳。一人暮らし。猫がさっきご飯を食べすぎて、わざわざ棚の上から盛大にゲロをぶちまけるという暴挙に打って出た。そんなクリスマスイブ、幸せに過ごしている人を呪いながら一人、パソコンの前にいるという次第である。もうどうせなら吉野家に行って「大盛りネギだくギョク」を注文し、全国の孤独な方々と心の中で連帯したいところだが(そういうオフ会がある)、寒いうえに近くに吉野家もないので、こうして自宅でくすぶっている。
で、今日は私にとって「30代最後のクリスマスイブ」なのだが、15年1月27日、無事に生きていたら私はなんと40歳の誕生日を迎えることになる。
40歳。あと10年で半世紀というところまで、とうとう来たわけである。平均寿命から言っても、「人生の折り返し地点」だ。そんな40歳を迎える心境はと言えば、「子どもの頃に思ってた40歳と随分違うな」ということだ。
子どもの頃に思い描いていた40歳と言えば、当然、結婚していて子どももいて、専業主婦で子育て真っ最中、というイメージ。しかし、今の私は独り身でもちろん子どもなどおらず、猫2匹と暮らしながら原稿を書いたり喋ったりすることで生計を立てている。孤独だけど気ままなそんな暮らしも悪くないと思いつつ、なんだか後ろめたさを時々感じてしまうのは、麻生太郎財務大臣の「子どもを産まないのが問題」といった発言に象徴されるような圧力が、この国には空気のように漂っているからかもしれない。
さて、女性に限らず、この国では多くの人が年を重ねることについてネガティブなイメージを持っている。が、私自身は逆に、ずっとポジティブなイメージを持ってきた。なぜなら、10代、20代の頃は生きづらくて仕方なくて、なんの根拠もなく「30歳になれば少しは楽になれるのでは?」とすがるように思ってきたからだ。また当時、心療内科で言われた、「30歳にもなれば今の苦しみはだいぶ減るよ」という言葉も大きかった。とにかく、30代の壁を突破してしまえば、生きづらさも少しは緩和されるようである。
そんな思い込みとともに迎えた30代。実際、私の生きづらさは軽減された。なんとなく開き直れてきたということもあるし、「とりあえず30年生きてきた」ということが根拠のない自信につながり、「ま、今日まで生きていられたんだから、これからもぼちぼち生きていけるのでは」ぐらいは思えるようになってきたのだ。
そんな30代。確かに10代、20代より死にたいと思うことは減ったが、やはり様々な悩みはある。仕事のこと。これからの人生。そして人間関係や恋愛問題、健康問題といった諸々は、若い頃よりも複雑怪奇な感じになってきて、時々思考停止してしまいたいくらいに消耗する。
が、1年ほど前、たまたま雑誌で読んだ言葉によって、私は40代になるのが楽しみで仕方なくなった。正確な言葉は覚えていないが、何かの分野で活躍中という40代の女性は言っていたのだ。30代の頃は悩んでばかりいたけれど、40代ともなると自動的に選択肢が減っていくから、悩みが少なくなってシンプルになる。40代、サイコー、みたいなことを。
なんだか視界が開けていく気がした。そうか、今の私の様々な悩みも「加齢によって選択肢が減る」ことで、解決されていくものなのか。それは私にとって、大きな希望となった。
また、39歳の誕生日に、ある人から言われた言葉も大きかった。それはいろいろな偶然が重なって、私ごときの誕生パーティーに駆けつけてくれた憧れのミュージシャンの言葉。彼は30代最後の年を迎えた私に、言ってくれたのだ。
「雨宮さん、女は40からだよ! これからがもっと面白くなるよ!」
その日から、私は「早く40歳になりたい」と願い続けてきた。
で、あとちょっとでめでたく「ハッピーフォーティー」なのである。
ちなみにこの言葉は、私の友人の造語だ。もともとは30歳になる人に対して「ハッピーサーティー」と祝うために使う言葉である。で、なぜ「ハッピーサーティー」なのかというと、大体「若い」というだけで、世界は生きづらさに満ちているからだ。金もないし何者でもないし、「若い」というだけで知らないオッサンとかに説教されるし、人生の選択を怒濤の勢いで次々と迫られるし、そのうえ「若さは有限」と知っているから「若いうちにあれもしなくては、これもしなくては」と常に焦燥感に駆られている。
30歳になるということは、「若さゆえの生きづらさ」からの解放なのだ。
そんなハッピーサーティーから10年、とうとう迎え撃つハッピーフォーティーは、私をさらに解放してくれそうだ。ちなみに最近、年上女性と飲んだのだが、「閉経」を迎えつつあるという彼女は「今、あらゆる煩悩から解放されつつある!」と手放しで喜んでいたので驚いた。なんだかこのまま解脱(げだつ)してしまいそうな清々しい表情の彼女を見て、「女のライフステージの奥深さ」に感銘を受けたのだった。
40代。きっと想像もしていなかったいろんなことがあるのだと思う。
しかし、ハッピーフィフティー目指して、それなりにぼちぼち生きていこうと思う。
そんな私の40歳の抱負は、「とりあえず41歳になること」。この年になれば、人生の目標は「死なない」くらいのレベルの低さでいいと思うのだ。
ということで、40歳のクリスマスイブも、まぁ生きて迎えられたらそれでよしとしよう。
次回は2月5日(木)の予定です。