ハリウッドのセクハラ告発に端を発した「#Me Too」(ツイッターなどでのセクハラや性暴力被害の告発・共有)の動きが、世界を席巻している。日本でも声を上げる女性たちが現れ始めた一方で、2018年1月7日には、アメリカのロサンゼルスで開催された「第75回ゴールデン・グローブ賞」の授賞式が黒一色に染まった。女優のメリル・ストリープらがセクハラへの抗議として、黒のドレスコードでの参加を呼びかけたのだ。
アンジェリーナ・ジョリーやニコール・キッドマンといったそうそうたる女優たちだけでなく、男性陣もセクハラと闘うことを示す「Time’s Up」(もうおしまい)キャンペーンに応じ、黒いスーツで登場した。
一方、そんな#Me Tooムーブメントに異を唱えた人もいる。同月9日、女優のカトリーヌ・ドヌーヴなど100人のフランス人女性が、フランスの新聞「ル・モンド」紙に連名でコラムを寄稿。その内容は、#Me Tooムーブメントを行き過ぎた潔癖主義であるとし、「女性にしつこく言い寄る男性の権利は性的自由の重要な一部である」と主張した。その5日後、ドヌーヴ氏は「攻撃されたと感じた性暴力の被害者に謝ります」と謝罪したが、#Me Tooへの違和感は変わらないことを改めて表明している。
彼女が言いたいことは、なんとなくだけど、わかる。「口説くのもセクハラ?」「なんでもかんでもセクハラって言い過ぎじゃない?」という言葉は、#Me Tooの動きが始まって以来、男性からも女性からも耳にしてきたからだ。
そんなドヌーヴ氏らが最初に出した9日の声明には、「レイプは犯罪です」という言葉がある。そしてその後に、「ナンパはしつこかろうが下手だろうが犯罪ではない」という一文が続く。が、少し前、ある犯罪被害をめぐるイベントで共に登壇した女性は「ナンパも性暴力の入り口の一つ」と主張した。
その言葉を聞いて、ハッとした。よくセクハラなどに対し、「職場で立場の弱い女性にセクハラするくらいなら、よそで勝手にナンパでもしろよ」と言う人がいる。が、その言葉を聞くたびに、なんだかもやもやする自分がいた。そんな私にとって、「ナンパも大きな問題を孕んでいる」という提起は、しっくりくるものだった。
なぜか。それは私自身、「道端で声をかけられる」という状況で、これまで幾度も怖い目に遭った経験があるからだ。
例えば1年ほど前に引っ越したのだが、それ以来、夜、駅から家に帰る途中にやたらと声をかけられるようになった。それはただ単に帰り道に飲み屋街があるからなのだが、気がつけば酔っ払いが私の隣を歩いていて「飲もうよ」などと声をかけてくるのだ。そんな古典的なナンパに遭遇したのは久々だったので最初は驚いたが、次に襲ってきたのは恐怖だった。なぜなら、「飲みに行こう」としつこく誘ってくる相手は、いくら断ってもどんどんついて来てしまったからである。
いつの間にか飲み屋街も通り過ぎ、住宅街が迫っている。このまま歩き続ければ、薄暗い住宅街を二人きりで歩かなければならないハメになる。その上、家までついて来られてしまったら、自宅の場所がわかってしまう。さらに恐ろしいのは、酔った勢いの「飲みに行こう」という強引なノリで、家に上がり込んでこようとするのでは、ということだ。
「考え過ぎ」という人もいるかもしれない。が、夜道を一人で歩いている時に見知らぬ酔っ払い男性に声をかけられ、延々とついて来られるということは、声をかけられた方にとってはそれほどの恐怖なのである。その上、冷たくあしらって怒らせてしまったら。相手が何者かまったくわからないこっちにとっては、「いきなり暴力を振るわれるかもしれない」という不安もある。しかも一度など、私が持っていたキャリーバッグを「持ってあげる」と強引に奪われてしまった。下手なことを言って怒らせてしまったら、このままキャリーバッグを奪われて逃げられてしまうかもしれない――。
とにかくなんとか穏便に、酔っ払いを怒らせずに諦めてもらわなくては……。瞬時に様々な計算をし、丁重に丁重にお断りして、「じゃ、失礼します」という最後通告をできるだけ丁寧に、しかしある程度の威厳を持って伝える。今のところ、それ以上相手がついて来たことはないのだが、そんな攻防の果てにやっと解放された瞬間には疲労困憊していて、「頼むから普通に帰らせてくれよ……」と心から思うのだ。
おそらく、酔っ払って声をかけた方には、まったく悪気はないのだろう。が、世に言われている「ナンパ」の、声をかけられる方の心境とは私にとってはこういうものだ。「女性にしつこく言い寄る男性の権利」が大切な性的自由として守られるものならば、私の感じているこの恐怖は、性的自由よりも「下」なのだろうか。そう思うと、やっぱりもやもやしてしまうのだ。
なぜ、このように「ついて来られること」が怖いのか。自分自身、理由はわかる。物書きになる前、キャバクラで働いていた時に「つきまとい」には散々嫌な目に遭わされてきたからだ。何人かいたのだが、その相手は客。店が終わるのを待ち伏せしていて、しつこく「これから飲みに行こう」と誘われ、延々とついて来られたのである。ちなみに私の自宅は店から徒歩5分ほどの場所だった。
この場合もたぶん、悪気などないのだろう。なぜなら、その少し前まで店内で楽しく会話をしていた相手なのだ。が、こちらとしては「楽しく会話していた」のは仕事だからである。向こうだってお金を払っているからわかるはずなのに、なぜかそれが通用しない人が一部いる。そんな時やっかいなのは、一歩店を出てしまえば守ってくれる人がいないということだ。あくまでアフターとして誘われたのであれば同僚の女の子を伴うなどして自衛できるものの、帰る途中に待ち伏せされたらアウトである。
助けを求めて店に戻っても、すでにみんな帰った後だったこともある。
どうしていいかわからずに、延々とついて来る客を撒くためだけに自宅を通り過ぎて遥か遠くまで歩き、目についた交番に飛び込んだこともある。
「この人、ついて来て困ってるんです!」
が、半泣きでそう訴えても、お巡りさんはまったく相手にしてくれなかった。
相手は交番に突き出されているというのに悪びれる様子もなく、「ずっと一緒に飲んでたんですよー」などとお巡りさんにベラベラ喋っていたからだろう。結局、泥酔して私の腕を掴んで離さず、「お前の家に行くまで絶対帰らない!」と男児のように駄々をこねる成人男性とファミレスに入り、隙をついて逃げ出してきた。とにかく、人目のある場所に行かないと絶対に逃げられないと思ったのだ。徒歩5分の家に帰るのに、2時間以上もかかっていた。その間、どれほど神経をすり減らしただろう。
そんなことは、よくあった。中には「家に入れないならわかってるだろうな」と暴力を匂わせる客もいたし、私が知らない間にあとをつけていて、自宅のポストに手紙が直接投函されていることもあった。その客はある政治家の秘書で、政治家は全然悪くないけど私はいまだにその政治家が苦手である。
またキャバ嬢時代には、客だけではなく、帰り道で声をかけてきた上に延々とついて来た挙句、抱きついてくる、触ってくるなどの犯罪行為にも数多く遭遇した。私にとっての「ナンパ」は今までの経験上、やはり「性暴力の入り口」なのである。
そうして少し前にも、怖いことがあった。
仕事である地方に宿泊した時のこと。夜、懇親会を終えてホテルに戻ると、エレベーターで一緒になった見知らぬ男性が「これから飲みませんか?」と声をかけてきたのだ。その男性は恐ろしく泥酔していて、しかもエレベーターの中は二人きり。
頼むから普通に部屋に戻らせてくれよ……。
そう思いつつも、エレベーターが先に着くのは私の部屋のある階。
どうしよう、ついてきたら……。
泥酔男性は、「飲もうよー」と呂律の回らない口で繰り返す。
動悸息切れ目眩をこらえて無視し、無事に部屋に着いた時には、ただただ重い疲労感がずっしりと両肩にのしかかった。こういう時、「うまくあしらえばいいじゃん」なんて人もいる。だけど、なんで見ず知らずの人間にわざわざ神経と頭をすり減らして、そんな高度なことをやってのけなければならないのだ。向こうが声さえかけてこなかったら、こんな疲労感と軽いフラッシュバックに悩まされることなんてないのに。そう、私が声をかけられるたびに異常なほどの恐怖を感じるのは、キャバクラ時代の恐怖がまざまざと蘇るからなのである。
だけど、こちらも相手にはまったく悪気などないのだろう。ただちょっと声をかけてみただけなのだろう。しかし、その悪気のなさ、気軽さ、手軽さに腹が立つ。
相手は自分が言ったこと、したことなどきっと覚えてさえいないのだ。