名古屋グランパス3選手、突然の解雇
これらの事件を踏まえ、今回は、スポーツ紛争を公正に報じたテレビの応援番組について行を割きたい。
2000年7月、名古屋グランパスを大きな事件が襲った。この年、大型補強で開幕を迎えたグランパスは戦前の予想とは異なり、苦戦を強いられていた。年始の天皇杯を制し、Jリーグでも優勝を期待されながら、ファーストステージが7勝7敗1分。セカンドステージも序盤から躓き、第1節対鹿島(6月24日)を0対3、第2節対磐田を(7月1日)を1対5で敗れ、勝ち点を失った。前年シーズン途中から着任した指揮官のジョアン・カルロスは、磐田戦のハーフタイムには、「俺をクビにする気か」と選手に怒鳴り、試合後に辞任をフロントに伝えた。フロントはそれを慰留。2日後の7月3日、大岩剛、望月重良、平野孝の主力3選手が、クラブハウスに個別に呼び出されると、「我々はジョアンにやってもらうから君は戦力外となった。移籍先を探すから待っていてくれ」とそれぞれ告げられた。告知に要した時間は5分ほどで、選手にすれば寝耳に水の一方的な通達であった。伝えられたのは解雇という結果のみで、説明は何もなかった。
3人は受け止めきれずにいたが、既成事実が積みあがっていく。翌4日、監督を招聘した当人であるグランパスの小宮好雄副社長は記者会見を開き、大岩、望月、平野の主力3選手を戦力外にするとメディアに向けて発表。ここで初めて解雇の理由が発表される。「監督の戦術が理解できていない。指導してきたが、残念」というものだった。最も重要な解雇理由は本人にではなく、マスコミに向けて発信されたのである。
5日のナビスコカップ、ジェフ市原戦の会見で監督ジョアンは、フロントからの遺留で辞任を撤回したことを吐露し、3人の解雇については「期待通りのプレーができていない。態度が謙虚ではない」と掲げた。解雇の原因は、監督と選手との確執が問題とも言われていたが、翌日、キャプテンの山口素弘の立ち合いの下で、3選手とジョアンの会談が実現すると、ジョアンは軟化し、それならまた一緒に戦おうと握手をするまでに至った。3選手はグランパスでこれからもやりたいという意志を示し、キャプテンの山口も「グランパスの選手全員の総意としてともにプレーすることを望んでいる」と伝えていた。ところが、これで決定は変わらなかった。戦力外通告は結局、監督の意志でもなく、フロント主導によることが露見した。
以降、3人は練習参加が一切許されなくなった。チームメイトが練習している最中、まるでさらし者のようにグラウンドの端でトレーニングに勤しむ姿は、あまりにも異様であった。
7月8日、小宮副社長はヴェルディ川崎戦の試合前にゴール裏のサポーターに向けてマイクで戦力外について説明を行った。そこではこんな言葉が流された。
「3選手は高い能力を持っていながら十分に発揮しようとしない怠慢プレーに加え、もっとも大切な秩序、規律を乱す存在だったということであります」
聞いていた「中日スポーツ」総局記者の野村悦芳記者は驚いた。おそらく側近が成文したであろう文面とはいえ、フロントがサポーターに「怠慢プレー」と言ってのけたからだ。
「僕は番記者で、すべての試合を見ていましたけど、いったい誰がいつ、怠慢プレーをしたのか。あの3人は勝ちたくて、怠慢どころか、むしろチームを牽引してた。確かに望月なんかが、チームメイトを叱咤する上で厳しい言葉を言っていましたけど、ピッチ上の言い合いくらいは常にあることで、中田英寿なんかは、1997年のフランスW杯予選のときから年上の選手でさえ呼び捨てで怒鳴っていましたからね」
干されていた3人は試合会場におらず、この「怠慢プレー」発言を報道で知ることとなった。
ここまでで、現在のサッカー界ならば「完全にアウト」の行動がフロント側に2つある。厚生労働省が「職場におけるパワーハラスメント」を明確に定義したことによって、日本サッカー協会もそれにならってHPにパワハラの具体的な事案を上げている(日本サッカー協会「スポーツにおける暴力・暴言・ハラスメント・差別とは?」)。)それによれば以下の事項に明らかに抵触する。
(2) 精神的な攻撃(人格を否定するような言動)
・あなたは価値がない、能力がないと言う
・脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言・差別的言動
・人前で、威圧的な態度で大声で執拗に叱責する、無条件で従わせる
(3) 人間関係からの切り離し
・特定の選手を練習や試合から嫌がらせのために外して隔離する
・特定の選手を指導者やチームメイトが集団で無視をして仲間外れにする
プロ野球選手会の顧問弁護士でもあり、サッカーを含めたスポーツ界のハラスメント問題に詳しい萱野唯(かやの・ゆい)弁護士は、この2000年の事件を検証してこう総括する。
「選手を戦力と見るか否かは監督や編成の裁量に属する事項であり、そのこと自体は問題がありません。ただ、それに伴うグランパスのフロントの対応は適切とは言い難いでしょう。現在のJFAは、『人間関係からの切り離し』はパワハラに該当するとしていて、まさにその具体例として『特定の選手を嫌がらせのために練習や試合から外して隔離する』が挙げられています。本人たちに説明もなく隔離行為をいきなり行ったことは、隔離についての合理的な理由がないことを裏付ける事情になり得ます。また、副社長が公式戦の試合前にサポーターの前で一方的に選手の社会的評価を低下させるアナウンスをしたことは、名誉毀損に該当する可能性さえあり、これもハラスメントに該当する可能性がある不適切な行為といえます」
3選手とプレーを続けたいと公言していたグランパスのチームメイトたちも黙ってはいなかった。選手の立場からすれば当然、看過できない合理性のない解雇であり、不当であることをそれぞれが、周囲の記者に訴えたりした。
当時、私はエースのドラガン・ストイコビッチに質した。ピクシーはどう思っているのか。妖精は答えた。
「僕も事態を知って、チームのためにも3人は残すべきだ、とフロントに訴えたのだけれど、もうこれはスポンサーも納得していることだからと言われたんだ」
私はこのコメントを当時連載していたグランパスの月刊誌に載せた。今、思えば彼の立場にしてギリギリの言葉をくれていた。
要は現場ではなく、親会社のトヨタから出向してきている副社長が決めたことであり、根回しは終わっていた。重要なのは、選手や地域やサポーターへの敬意ではなく、出向元の親会社の意向であった。当時のグランパスには、今西和男や、ジェフユナイテッド市原にイビツァ・オシムを招聘した祖母井(うばがい)秀隆のように、監督や選手の優劣をしっかりと評価できるGMが存在せず、プロパーの人材を育てようとしていなかった。
「今の整備されたコンプライアンスにおいてはあの副社長の行為は不適切だが、当時の価値観では仕方ない」という意見も酷である。実際にハラスメントに苦しめられた選手の負った傷は、今であろうが、昔であろうが関係がない。2年後に日韓W杯を控えながら、3選手はシーズン中に所属なしという悲惨な状況に置かれ、トルシエ・ジャパンの一員として2000年のハッサン2世国王杯で背番号2を背負った大岩も、右サイドの逸材として同年のアジアカップのファイナルで決勝ゴールを決めた望月も、代表選手としての生命を実質的に絶たれた。
今、振り返ってもあの事件はいったい何であったのか。副社長が招聘した監督が結果を出せずに辞任したとなれば、幹部自身の責任となる。そこでチーム不振の矛先が選手に向けられたとも言われるが、解雇をするにしてもあまりに敬意を欠いた行動であった。フラットに検証すれば、大きな問題は主力選手の解雇というクラブの編成の賛否にあるのではなく、上記二つのハラスメント行為が行われていたという事実にある。2011年にJリーグの選手会は労働組合になっており、今このような事態になれば選手会が黙っていないであろう。何より日本サッカー協会自体が、パワハラ根絶に動いている。
2000年の事件の説明が長くなった。当時は、この問題にほとんどのメディアが沈黙を強いられた。「怠慢プレー」というゴール裏への説明に対して違和感を発していた多くの記者たちも、「うちも上からもう追うなと言われました」と悔し気にうめいていた。まさに納得の、「スポンサーからの抑え」でもあった。