外務省と歴史観
ドキュメンタリー映画『教育と愛国』(2022年、斉加尚代監督)に印象的なシーンがある。同作は、安倍晋三政権時に始まった教育に対する露骨な政治介入によって、教育・学問の普遍的な価値が歪められていく様を活写しており、第65回JCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞を受賞している。教科書から沖縄戦における重要な史実などが削除され、政府見解がそのまま反映されていった背景をあぶりだしていく過程は、権力のグロテスクさからまるで「政治ホラー」と称されたが、露見させたのはそれだけでない。首相官邸の意向が、これまで近隣諸国との関係を配慮してきた外務省にまで及んでいたことを可視化させている。
登場するのは、外務省顧問の杉山晋輔氏である。2016年に開かれた国連の女性差別撤廃委員会で当時外務省審議官だった杉山氏は慰安婦問題について、日本軍の関与の下、 慰安婦の存在を認めて謝罪した「河野談話」は継承するが「軍による強制連行は確認できない」と発言した。これに対して委員からは「歴史の歪曲だ」との反論がなされ、国連女性差別撤廃委員会は、日本政府は「犠牲者中心の立場に立っていない」と批判した。
この杉山発言について映画の中で斉加監督から「安倍総理からの直接のご指示でお話になられたんでしょうか?」と問われた杉山氏は「それがその経緯の一部としてあったということは確かです」と自慢気に認めている。杉山氏はこの国連での発言の後、事務次官に昇進し、キャリアの最後は駐米日本大使に上り詰めている。私立大学出身で外務事務次官の座についたのは、戦後では杉山氏が初めてだという。現在は三井不動産顧問であると同時に、母校・早稲田大学の特命教授の地位にあり、入学式にも招かれている。同大学における出世頭ということであろう。
すでに鬼籍に入られたが、元駐クロアチア日本大使の大羽奎介(おおば・けいすけ)氏は生前「私たちは政治家の顔色など窺わず、現場で誠実に仕事に向き合ってきた。歴史への尊敬も忘れなかった。日本が国としての信頼を旧ユーゴスラビア諸国で得られてきたのは、そのおかげだと思うのです」と語っていた。2011年に東日本大震災が起きた際にセルビアがいち早く災害支援に動き、貧しい国ながら、当初ヨーロッパで一番多い義援金を送ってくれたのは、かような背景があったからであろう。第二次世界大戦中に内務省の通達に抗い、独自の判断で「命のビザ」を発給した駐リトアニア大使・杉原千畝の人道的英断が戦後になって日本の評価をどれだけ高めたか、あらためて語るまでもない。「良い外交官は可変的な日本の政治に右往左往しません」と役人としての出世などみじんも考えていなかった大羽氏は常に語っていた。
しかし、この杉山審議官(当時)による国連でのアピールから2年後、2018年にドイツ、デュッセルドルフの日本国総領事館のウェブサイトにまたもそれこそ可変的な政権の意向を汲んだと思われる文章が掲載された。
日本国総領事館に掲載された匿名文章
現在は削除されているが、「誰もがずっと知りたかった慰安婦のこと(でも、聞くのが怖かった)――歴史的再評価の試み」(原文は英文。訳文は筆者による。以下同)と題されたその文章は、Y.Yと匿名で出され、形だけは学術論文の体を取っているが、もとは水内龍太総領事(当時)が、デュッセルドルフの日本商工会議所で邦人ビジネスマン向けに行った講演をまとめたものであった。
内容は、到底教育を受けた外交官が書いたとは思えない代物であった。曰く「日韓併合後、日本の新統治によって朝鮮半島の経済は好景気に沸いた」「(慰安婦は)人身売買業者や性産業の運営者によって虐待された可能性が高い」「もし実際に奴隷のような扱いが行われていたとすれば、それは韓国の性産業によるものであり、その責任を問われるべきである」等々の記述が一貫して続くのだ。そして文尾にユーモアのつもりなのか、「そして最後に、今日のスピーチのタイトルについてですが、これはウディ・アレンの有名な映画をパロディにしたものです」と記されていた。
「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」(Everything You Always Wanted to Know About Sex *But Were Afraid To Ask)のことであろう。しかし、同作自体が、媚薬、獣姦、変態、精子といった性に関するものをモチーフに過去の映画作品をパロディにしただけの低予算コメディで、そこにセックスに関して知るべき知識は何も無い映画である。Y.Yによる文章のタイトル自体、取り上げた深刻なテーマに対する真摯な姿勢が微塵も感じられない(それともここに知るべき歴史知識は何も無いというメッセージを暗に知らせていたのであろうか)。
「Y.Y文章」冒頭部分
このY.Yの文章のことを教えてくれたのは、当時デュッセルドルフ大学の教授であった島田信吾氏であった。島田は中学3年生で単身西ドイツ(当時)に渡って学究の道に入り、ドイツ言語学で修士号、社会学で博士号を修めている。ドイツアカデミズムの中で政治に忖度しない真理への探究を叩き込まれて来た島田は、母国の外交官の行いに少なからずショックを受けていた。
「これを本当に日本の領事館が公式に出したのかと、目を疑う文章でした。『朝鮮では伝統的に歴史の中で様々なかたちで売春が行われていた』と言い切って、慰安婦も性産業の文脈に繋げていく。我々、学術の世界にいるものからすれば、論拠も脆弱で論考としても主張としても通用しないものですが、それを外務省が歴史としてお墨付きを与えているのかと思うと驚きました」
落胆の表情を浮かべてこう続けた。
「私は西ドイツの時代から暮らしていますが、かつての日本大使館、日本領事館はこうではなかった」
在外で研究活動を続ける島田のような人材にとっては、かような文章が流されれば、日本の学者に対する信頼さえ喪失しかねない。
「ドイツも右傾化が進んでいろいろと問題は孕んでいますが、学問の中立性、公平性はまだまだ担保されている。私も辛淑玉(しん・すご)さん(在日コリアン3世の女性で差別扇動の被害を受けて日本を追われ、デュッセルドルフ大学の研究員としてドイツに2年間滞在)をお世話したことで日本の右派議員に絡まれて、『おたくの学長に言うぞ』という恫喝まがいのことを言われましたが、笑ってしまいました。ドイツの大学はそんな馬鹿な脅しではびくともしない」
そして、うちの大学ではこういう動きがあったのです、と誇らしげに教えてくれた。
日本国総領事館の発信したこの文章(以下「Y.Y文章」)を読んだデュッセルドルフ大学の日本学科の学生たちが憤怒し立ち上がったのである。同大学では、1970年代から日本語教育が開始された。丁寧な授業が評価されて学生の数が増え続け、現在はドイツで最多の800名~900名の日本学科生がいる。島田教授は2005年から、明治時代以降を対象とした「現代日本研究」を教えていたが、学びに来る学生たちの歴史に対する意識が極めて高いという。
「私たちが愛し、学んでいる日本の歴史がこんなふうに歪めて伝えられているのは、許せないということで、学生たちがグループを作って、この領事館が出した『Y.Y文章』を徹底的に分析して過ちを指摘するシンポジウムを企画したんですよ」
学生たちは、シンポジウムの開催を大々的に告知し多くの聴衆を集めた。その上でこの文章がいかに歴史を修正しているのか、引用している出典の危うさや誤用、論理の展開に至るまで、パワーポイントに収めて発表したのである。学問のプロたちからすれば、役人が自己アピールのために邦人向けに書いた作文の破綻を突くことなど、いともたやすかった。日本国総領事館はシンポジウムの前に「Y.Y文章」をウェブサイトから消していたが、その後も学生たちとの論争に手をあげることはなかった。
日本を研究するドイツ人学生
島田は最後に「実はその中心メンバーとなった学生が今、日本にいるのですよ」と言うので、会いに行った。彼女の名前はマリー・ウルリッヒ。留学先の金沢大学で博士論文を書いていた。テーマは、日本神話が政治やツーリズムなどの観光ビジネスにどのように利用されてきたのか、その軌跡にフォーカスを当てたものである。
カールスルーエに生まれ、4歳でケルンに引っ越したマリーは、高校時代に日本の文化と出逢い、ロバート・ボッシュの奨学金を利用して最初の訪日を果たす。以降、多くの日本関連の書籍や文献に触れてきたが、他の日本学科の学生と異なるのは、日本の漫画やアニメを入り口にしていない点である。最初に入学したチュービンゲン大学では、日本の古典を学んでいたが、あきたらなくなり、デュッセルドルフ大学では、明治以降の現代日本の研究に没頭した。
マリーは、元来ファンタジーである日本神話が、天皇制を中心に据えた日本帝国主義の喧伝に果たした役割について大きな興味を持ったという。
「私がデュッセルドルフ大学で研究を始めた2019年はちょうど令和元年で、今の天皇が即位した年です。それを日本のメディアはどのように伝えたのか、調べました。それまでも神武天皇という初代天皇についての神話があることや、それが戦前の日本では歴史として教えられていたことは知っていましたが、今でもそのような時代の教育に押し戻そうとしている動きのあることに気がつきました」
ヨーロッパの国々にも神話はもちろんある。しかしそれはあくまでもフィクションであり、日本ではそれが国の歴史と同一化されて教育に持ち込まれていることにマリーは驚いていた。
「これは日本のナショナリズムを研究する上で論文のテーマになると考えたのです。私はそのような文章や書籍を分析しました。中でも産経新聞出版が出版した『神武天皇はたしかに存在した』は非常に興味深かったです」
神武天皇について記してある文献は古事記と日本書紀の2つしかなく、明治政府の規定によれば、即位は紀元前660年とされていて、それは文明に程遠い縄文時代である。しかし、国民主権を否定し戦前回帰を狙う右派勢力にすれば、イデオロギー支配の観点から、神武天皇は実在していなくてはならない。