選手の側に立ち続けた「グランパスTV」
そんな中で決然と独自の取材で「3選手の突然の戦力外」に対して異議を呈したメディアがあった。CBC(中部日本放送)制作の「グランパスTV」である。プロデューサー、アナウンサーを含めた4人のスタッフで制作される同番組は、クラブの応援番組でありながら、決してお手盛りな構成にしなかった。刻一刻と動く事態の中で渦中の3人のみならず、チームメイトにも積極的に取材を敢行し、肉声を引き出して選手の置かれた立場を浮き彫りにした。26年前のVHSテープを見返すと、7月5日放送では、「誰からも(自分の解雇についての)説明がない」(大岩)、「本心は名古屋に居続けたい」(望月)というそれぞれの思いを放送。このとき、カメラは大岩の、「シーズン中だし、移籍金が発生する発生しないというのもあるし」という、いきなりの移籍勧告に対する不安のにじみを活写している。今の若いサッカーファンは日本の五輪代表監督がこのような苦悩を強いられていたことを知っているだろうか。
番組は、同僚選手の山口、大森征之、岡山哲也などから、「お前たちは、何も考えずに試合に集中していればいい、と言われた」という言葉を引き出した。この映像はこの事件の本質を描いている。なんとなれば、2004年8月、プロ野球界の経営者側が選手への説明のないままに一方的な球団合併を行おうとした際に、選手会の古田敦也会長がオーナー側に話し合いを求めたことに対し、渡辺恒雄読売新聞会長が「たかが選手が分をわきまえないといかん」と拒絶したことと類義の言葉であるからだ。要は「たかが選手に説明は不要。我々が決めたことに口を出すな」というオーナー側の傲慢な姿勢だ。
しかし、サッカーも野球も選手によって試合が成立している以上、労働性が認められる当事者たちが求める説明責任に応じない経営姿勢などありえない。
「グランパスTV」は、小宮副社長のコメントにもナレーションで疑義を呈した。
「3人がいなくても戦える」(小宮副社長)
――そこに根拠はあるのか。(ナレーション)
「ジョアン監督は指導者としてグランパス史上最高の監督で不可欠の存在」(小宮副社長)
――アーセン・ベンゲル以上の存在なのか。(ナレーション)
もともとがサッカー選手ではなかったジョアンが名監督であったかどうかは、その後の実績を見れば明確である。結局翌年には3人以外の選手とも確執を起こしグランパスを離れ、その後、指揮官となったセレッソ大阪では、チームをJ2に降格させたことで解任され、2003年に就任したJ2コンサドーレ札幌でも結果を出せずにシーズン中にチームを去っている。
毎週、3選手解雇問題を取り上げ続ける「グランパスTV」には大きな圧力もかかってきた。しかし、番組スタッフは一丸となっていた。キャスターの神尾純子アナウンサーは、画面に出る以上、矢面に立たされる立場であったが、毅然として言い放った。「ご批判、ご意見をお寄せいただきありがとうございます。今後も独自の視点を交えつつ応援番組という姿勢を取り続けていきます。今後もご意見をお願いします」
アナウンサーもまたジャーナリストであった。
バラエティやドラマがあっても、放送局の根幹は報道機関としてのアイデンティティにある。そのための公共の電波なのだから。元々、当時のCBCのスポーツ報道は、単なる勝敗のレポートだけではなく、サッカーにおいても日本のレフェリーがリネカーとストイコビッチのカードの出し方に大きなギャップがあること(欧州で一度も警告を受けていないリネカーは手を使ってもノーファウル、ピクシーには即イエロー)を「ニュースワイド」という番組の中で映像を使って検証するなど、スポーツの在り方や試合をクリティカルに論じていた。
圧力に抗っていた佐藤浩二プロデューサーは今、こう振り返る。
「あのときは、あまりに選手が気の毒だった。想像してみてほしいのです。解雇は契約上、問題が無いとはいえ、この年の天皇杯優勝にまで貢献してきた選手がたった5分間の通告でいきなり練習着を取り上げられて、トレーニングから外されたんですよ。公正に考えても罰則ではなく、嫌がらせですよ。私たちは、番組のポリシーとして、プレイヤーズファーストで選手を中心に応援することを決めていた。選手主体の目線で考えると間違いなく、自然とあの番組の作りになっていった」
いきなりの解雇に対しては、フロントと選手両方に言い分があるのではないか、という相対的な意見も噴出した。しかし、選手は常に権力勾配の下流にある無力の存在である。実際、それで副社長から一方的にプレーする機会を奪われた。
今西和男さんは、辞めた選手をただ1人として路頭に迷わせることなく、移籍先やセカンドキャリアまで面倒を見ていたが、同番組も大岩がジュビロに移籍したあとも磐田まで取材に行って近況を尋ねている。苦しい渦中にある選手に寄り添い、その表情を視聴者に届けた。
グランパスを出された後の大岩のキャリアは、苦闘から始まった。当初は先発から外されていたが、レギュラーを獲得すると、名波浩を中心とする、いわゆる「Nボックスシステム」で完全優勝を成し遂げたジュビロの黄金期を支えた。鹿島に移籍し、引退後も同クラブで指導者としての道を歩み、指揮官に就いてからはクラブを初のACL優勝に導いている。
U-18日本代表、U-21日本代表、そしてオリンピック代表監督へと昇り詰めていく大岩の様を、すでに制作現場を離れたかつての4人の番組スタッフは、かげながら、しかし誇らしげに見続けている。
スポーツを伝える者の喜びは、こういうところにあるのではないか。

大岩剛監督率いるサッカーU-23日本代表は、2026年のアジアカップで優勝した(2026年1月24日、サウジアラビア)(写真:アフロ)