知人の父親は、勤めていた自動車メーカーの株式を退職金で大量購入したのだが、業績の急激な悪化で株価が暴落しているという。損失を食い止めるために、早く売るように勧めるのだが、永年勤めた会社への恩返しのつもりで購入したので、手放すつもりはないという。「俺が親父から株を預かって代わりに売り、さらに値段が下がったところで買い戻してもいい。出た利益は折半で…」と、知人の言葉には自分がもうけたいという思惑も見え隠れしている。
自分が持っていない株式を借りて売却し、後で買い戻して利益を上げようとする。これが株式取引における「空売り」の仕組みだ。
通常の株式投資では、まず、株式を購入し、その後に売却して利益(損失)を確定させる。「買い」から始めて「売り」で終わることが原則で、「売り」から取引を始めることができないことから、株価の下落局面では手を出すことができない。
株価の下落局面でも利益をあげることができるのが空売りだ。空売りは、株式を持っている人から一時的に借りて売却、その後に買い戻して返却するという方法で行われる。
株式を借りる相手は、証券会社の他に、株式や公社債を使った金融業務を行っている証券金融会社(日本証券金融など3社)などだ。
これらの会社は大量の株式を保有していて、投資家からの求めに応じて一時的な株式の貸し借りを行っている。また、生命保険会社などの機関投資家から借りる場合もある。機関投資家は、知人の父親のように長期保有を前提とした「売るつもりのない株式」を保有しているため、ここから株式を借りることも可能なのだ。株式を借りる空売りは、「信用取引」の一つで、証券会社を通じて簡単に行うことができるように整備されているのである。
空売りは、株式以外にも、原油や金などの商品先物取引や、外国為替証拠金取引(FX取引)といった「先物取引」などでも行われている。こちらは、売り買いを相殺する「差金決済」を原則としていることから、少額の証拠金を支払えば「売り」も「買い」も自由自在で、実際に商品などがやりとりされることはない。
一方、株式市場での「空売り」は、株式を「借りて売る」という実体のある取引が原則となる。したがって、ある企業の株式を買いたいという希望が殺到した場合、株式の調達ができなくなって空売りも実行不能という事態を招くこともあり、この点が先物取引などでの空売りとは大きく異なっている。このため、先物取引などでの実際の商品のない空売りを「裸の空売り」(naked short selling ネーキッド・ショート・セリング)と呼んで区別することもあるのだ。
空売りは、株価暴落の元凶と指摘されることが少なくない。本来はできない売り注文が大量に持ち込まれ、株価が大きく下落してしまうというわけだ。
こうしたことから、厳しい規制が実施される場合もある。2008年7月、金融危機による株価暴落に直面していたアメリカでは、証券取引委員会が空売りの禁止を実施、日本でも金融庁が08年10月から空売り規制を実施している。
しかし、空売りされた株式は必ず買い戻される。借りた株は返さなければならないからだ。したがって、長い目で見た場合には、空売りは株価に対して中立的であり、安易な規制は適正な株価形成を阻害するという批判も根強いのだ。
株価が暴落するたびに悪者扱いされる「空売り」。しかし、空売りだけが株価を押し下げているのではない。空売りを規制しても、企業の業績や景気全体が回復しなければ、本格的な株価回復は望めないことをしっかりと認識しておく必要があるだろう。