中央アジア、カザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖・アラル海は、かつて世界第4位の湖水面積を有していた。しかし、旧ソビエト連邦(ソ連)時代に行われたスターリンの灌漑政策などが原因で、面積は50年間で10分の1に縮小。生態系へのダメージ、湖底の表出と砂漠化など、世界最悪の環境破壊をもたらした。漁民は仕事を失い、人々は塩害による呼吸器疾患や内臓疾患に苦しんだ。
この「悲劇の湖」に、十数年前から魅かれ、憧れを抱き、自らの仕事に結実させた二人の人物がいる。地田徹朗氏は現地に密着してアラル海の現状を分析する研究者として、宮内悠介氏は、作家として現地を取材し、架空の「アラルスタン」という国を舞台に『あとは野となれ大和撫子』を書き上げた。過去に壮大な「物語」を抱えたアラル海に足を踏み入れ、残留する湖水に身体を浸し、二人が感じたものは──。なぜここまでアラル海に魅せられるのか、お二人に語り合っていただいた。
日本初?アラル海が舞台の冒険小説!
地田 お久しぶりです。宮内さんとは共通の後輩の知人がいて、その人からアラル海を舞台に宮内さんが小説を書かれるということは聞いていました。でも、中央アジアに架空の「アラルスタン」という国ができて、少女戦士たちがその国を守るために戦うって、いったいどんな小説なんだろうと、最初はもう皆目想像もつかなかったんです。さあ、どうしようって(笑)。
宮内 そうでしょう(笑)。その節は、アラル海の写真や資料をお送りいただいてありがとうございました。参考文献をあたる際、やはり量的にも質的にも地田先生の資料や日本語論文がよく目について、勉強させていただくとともに、かねてより信頼していたのでした。
地田 いやいや。最初はそれが率直な感想でしたが、小説になった『あとは野となれ大和撫子』を拝見して、私は本当に度肝を抜かれたんです。そして、感謝の気持ちでいっぱいになりました。というのは、これはまさにアラル海周辺地域だとか、いかにも旧ソ連らしい、という画や情景が浮かんでくるさまざまな仕掛けが小説の随所に出てくるんですね。
砂漠を貫くまっすぐな道路、船の墓場で記念写真を撮る観光客、魚もいない、鳥や獣も寄り付かない大アラル海の静けさ、廃墟になった臙脂色の三角屋根の家々なんて私が見てきた風景そのものですし、クヴァスや、酢を大量にかけるサラダとか、煙草のバラ売りなんかも「そうそう!」って思います。また、それがうまい具合にちりばめられていて、どこを読んでも、ああ、この辺の地域だなというのが肌感覚で伝わってくる。現地の人々の暮らしや塩の砂漠の情景が非常にリアルに物語の中から立ち上がってきて、研究者としてアラル海に行っている身としてはすごいなという驚きの連続でした。まず私が聞きたいのは、宮内さんが、アラル海を舞台に物語を書きたいと思ったきっかけです。
宮内 国家をまたいだ海が、旧ソ連時代の大規模な灌漑政策で、ほぼ消滅しようとしている。そのアラル海をどうしようかというプランについては、地田先生がお詳しいんですが、簡単に言えば、今は南北をダムで遮りまして、北の小アラル海については、水位がダムの設計上これ以上は上がらないだろうってところまで復活してきている。(イミダス関連記事:地田徹朗「アラル海は本当に消滅したのか?」)
とはいえ、南側の大アラル海に関してはなかなか打つ手が難しい状態にはあるので、ある意味で希望と絶望が一カ所にあるようなイメージを私は抱いていまして……。それは何というか、物語そのものではありませんか。「海が戻ってくる」という一事実がものすごく象徴的なことであると感じたのです。そして、なかなか打つ手の少ない南側の海と、戻ってきた北側の海を自分の目で両方見てみたい、行ってみたいと思ったのが最初です。興味をそそられたのは、中央アジアよりもアラル海が先だったのでした。
地田 なるほど。2014年10月に、CNNが「世界で4番目に広かった湖アラル海、ほぼ消滅」と報じて、世界に衝撃が走ったのですが、実はその情報は正確ではありません。今、宮内さんがおっしゃったように、カザフスタン領に属する小アラル海に関しては、コクアラル堤防が建設されてから、水位は安定し、塩分濃度は低下しています。塩分濃度の低下によって、かつてアラル海に生息していた多くの魚も戻ってきて漁業も復興しつつあることは、まだあまり知られていません。その意味では、今言われた「希望と絶望が共存する」という表現はぴったりだと思います。
『あとは野となれ大和撫子』
2017年、KADOKAWA刊。21世紀、中央アジアの架空の小国「アラルスタン」を舞台にした冒険小説。カリスマ的な人気を誇る大統領が突如、暗殺された。国内のイスラム過激派の台頭を恐れた政治家たちは国外へ逃亡。残されたのは、「後宮」という名の女子専用教育機関で英才教育を受けた乙女たちばかり。「仕方ない、私たちで国家やってみる?」――暗殺者、テロリスト、反政府組織との争いに加えて、虎視眈々と領土を狙う近隣国を向こうに回し、少女たちはアラルスタンを守り切れるのか?
クヴァス
酸汁。麦や果実、蜂蜜などでできた発酵飲料。
ロンリープラネット
世界的なシェアを誇るガイドブックシリーズ、またそれを刊行する出版社。
アルテミア
塩湖に生息する小型の甲殻類。別名ブラインシュリンプ。