ワーキングプアの定義
「ワーキングプア」とは、「働く貧困層」を指す言葉である。英米圏で昔から使われてきた言葉だが、1980年代以降、それを主題とした文献が急増している。この言葉を、日本の現状に即して定義すれば、一つの世帯において、「その中の1人または複数がフルタイムで働いているか、働く準備があるのに、収入が貧困基準を下回っている状態」となる。
ここでいう「収入」とは、その世帯の合計で考えるから、たとえば、妻が低賃金の非正規雇用で働いている世帯でも、夫の収入が高ければ、その世帯はワーキングプアではない。また、年収180万円で働く若者も、きちんと収入がある親の世帯に同居していればワーキングプアではない。あえて名付ければ、こうしたケースは「潜在的ワーキングプア」と呼べるだろう。
一方、一人暮らしの労働者世帯ならば、その賃金収入が一定の「貧困基準」を下回っていればワーキングプアに該当する。
なお、「働く準備がある」とは、現在は仕事をしていないが、求職活動をしている状態、つまり「失業」を指す。失業状態ならば「ワーキング」に該当しないと思われるかもしれないが、欧米のワーキングプアの定義も失業貧困層を含む点は同じである。
したがって、ワーキングプアは就業貧困世帯と失業貧困世帯から成っている。
増えるワーキングプア
ワーキングプアの定義に沿って現状を考える場合、「貧困基準」をどこに設定するか、また、「フルタイムで働いているか、その準備がある」という条件を具体的にどのように決めるかによって、ワーキングプアの範囲が変わる。ちなみに、ワーキングプアに関する政府の公式統計はない。は、5年ごとに実施される、総務省の「就業構造基本調査」(1997年と2002年)から、筆者が行ったワーキングプア世帯数の推計結果である。推計には、給与所得世帯向けと、それ以外の世帯向けの2種類の貧困基準を用いた。
この推計から、ワーキングプア世帯は1997年に458万世帯で、勤労世帯全体の12.8%だったのが、2002年には656万世帯、18.7%に急増していることがわかる。
1997年、2002年の非勤労世帯を含む貧困世帯総数は、それぞれ756万世帯、1105万世帯なので、そのうち約6割をワーキングプア世帯が占めていることになる。つまり、ワーキングプアは日本の貧困問題の中心といえる。
「賃金・給料が主な収入」の世帯は、日本の総世帯数の約6割、3000万世帯ほどだが、その中の貧困世帯を世帯人数別に見たのがである。単身世帯よりも、複数人数世帯で貧困率が高い傾向が見て取れる。
つまり、ワーキングプアは若年フリーターだけの問題ではなく、むしろ子育て世代を含む複数人数世帯に多いのだ。関連するが、18歳以下の子がいる世帯を調べると、その約3割が貧困世帯であった。約3人に1人の割合だ。
ユニセフの「豊かな諸国における児童の貧困」(2005年)は、上記の貧困基準よりもずっと低い基準を使っているが、それでも日本の児童貧困率は14.3%、約7人に1人である。
ワーキングプア急増の背景①──労働市場の変化
それでは、なぜ2000年前後を境として、ワーキングプアが急増してきたのだろうか。総務省統計局の「労働力調査特別調査」および「労働力調査詳細結果」によれば、正規雇用が大きく減り出したのは1999年だ()。減り出す前の98年と2006年を比較すると、正規雇用が454万人減り、逆に非正規雇用は490万人増加している。この間の非正規雇用の増加は、契約、派遣、嘱託などの「フルタイム型非正規雇用」が約7割を占める。フルタイムで働く非正規雇用の労働者は、以前の主婦パートなどと違い、単身世帯を含め、家計の中心であることが多い。そのため、この時期の非正規雇用の増加は、ワーキングプア世帯の増加に直結した。
なお、非正規雇用の賃金も最低賃金制度に規制されているのだが、現行の最低賃金額では、フルタイムで働いても、給与所得世帯の貧困基準(一人世帯)の金額を大きく下回る。それは、現在の最低賃金制度が、主として夫の賃金に依存する主婦パートなどを念頭に置いたものだからである。
小企業の正規雇用の賃金も大きく下がった。1999年から2005年で、10人~99人規模企業の男性フルタイム労働者の平均年収は、27.7万円下がっている(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)。30~34歳に限ると40万円の減収である。男性は正規雇用のまま低処遇となるケースが多く、女性は若年層を中心に激しい雇用の非正規化が起きた。
こうした大きな変化は、不況によるとともに、「日本型雇用」の崩壊の現れである。日本型雇用では、学校を卒業した若者を「定期一括正規採用」し、「長期雇用」を前提に社内で技能訓練をほどこし、さまざまな職場や職種を経験させながら、勤続年数に伴って給料も増える「年功型賃金」で処遇した。日本型雇用のこうした諸要素は、順次、1990年代半ばから2002~03年ごろに壊れた。
01年後半期の激しい不良債権処理は、大企業の大リストラを伴い、500人以上の企業における正規雇用は、半年で100万人以上減った。長期雇用慣行はもはや強い社会ルールではなくなり、労働市場の状況は、雇用される側が格段に不利になった。
新卒を一括して正規採用する雇用方式は、1995年から大きく後退した。15~24歳の正規雇用数は、94年から2006年で半分以下になり、06年春では、学生を除くと、男で44%、女で52%が非正規社員か無業である。
生活の自立困難もさることながら、この年代に必要な技能訓練と職業的アイデンティティー獲得の機会を奪われている点が大きな問題である。このままでは今後、不熟練のままの労働者が急増し、ワーキングプア比率が現在の約2割から大きく上昇する可能性がある。
次回は引き続き、ワーキングプア急増の背景を探り、その社会的影響を見ていく。