食や公共サービスなど暮らしを守る基盤への不安
先進国においても、自由貿易協定は単なる「貿易」の話ではなく、暮らしを守る基盤を壊しかねないとの理解が広がってきている。例えばEUでこの理解が一気に市民に拡大したきっかけは、「食の安心・安全」の分野だった。
アメリカとのTTIPが妥結すれば、EUの食の安全基準が「規制協力」という名のもとに緩められ、「アメリカからの塩素漬けチキン」が輸入されるという現実にEU市民は恐れを抱いた。街では、子どもを持つ親や養鶏農家、レストランのシェフ、トラクターに乗った農家などが「塩素チキンはいらない!」とデモを繰り広げた。
その輪は食の安全の問題だけにとどまらず、水道民営化など公共サービスの市場化や、基本的人権である個人情報を守るためのEU独自の法律までもが貿易協定の中で無効化されてしまう懸念へと広がり、ベルリンで20万人、ウィーンで15万人という規模のデモが次々と行われた。こうした声がEU議会や各自治体へと届けられ、トランプ大統領の出現前の段階で、TTIPを交渉不能な状態にまで追いつめたのだ。
国家財政に影響を及ぼす投資家vs国家の紛争
TPPはじめほぼすべてのメガFTAに含まれる、投資家対国家紛争解決メカニズム(ISDS)条項も、先進国・途上国の市民社会から強く批判されている。ISDSとは、投資先の国の政策や法制度の変更によって、「当初予定していた利益」が損なわれたと投資家がみなした場合、投資先国政府を訴え、勝訴すれば数千億ドルにも及ぶ多額の賠償金を得られるという投資家保護の仕組みだ。
例えば、環境破壊や先住民族の強制移住を引き起こした大規模開発を政府が差し止めた直後に、アメリカの大企業から訴訟を起こされたケース(エクアドルやペルー)、水質悪化や料金高騰のため水道の民営化契約を継続しなかったために、フランスのグローバル水道企業や米国系多国籍企業から訴えられたケース(アルゼンチンやボリビア)、など、世界のISDSによる訴訟事例は年々増加している。
問題は、この仲裁を行う機関が国内の司法プロセスを迂回し、恣意的に選ばれた仲裁機関で行われることであり、しかも仲裁人は複雑多岐にわたる貿易協定に精通したごく限られた国際弁護士の中から選ばれ、裁定も密室で行われるという非民主的な仕組みである。一審制で裁定に不満があってもそれ以上訴えることはできない。判断の基準は「投資家に不利益があったかどうか」の一点のみで、政府による政策変更や規制措置が公共の利益にとっていかに重要かという社会的・環境的側面は考慮されない。
これまで何度もISDSで提訴されてきたエクアドルでは、企業に支払った賠償額が国家予算の3分の1にも達し、国家財政は逼迫、教育や貧困対策予算をカットせざるを得ない状況に至っている。「果たしてこのようなルールのままでいいのか?」と、このような現実を前に、国際市民社会は紛争仲裁ルールのあり方そのものの不公正を問うているのである。
抜米TPP、日欧EPA、RCEPは誰のための自由貿易か(後編)に続く