インドで頻発するテロ事件
08年11月26日に発生したインド、ムンバイでの同時テロは、外国人を含む172人の死者を出した。実行犯や特殊部隊との銃撃の映像が世界を駆け巡り、あらためて南アジアがグローバルなテロリズムの重要な舞台であることが印象づけられた。事件はパキスタンに根拠地をおくイスラム過激派ラシュカレ・タイバ(「純粋者の軍隊」の意)の犯行とみられる。事件の目的は、インドとパキスタンの関係を悪化させることによって、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯で進められている米軍とパキスタン政府軍によるアルカイダ、タリバン勢力の追討作戦を妨害することにある。ラシュカレ・タイバは、インド、イスラエル、アメリカをイスラム支配の敵とみなす武装団体であり、パキスタンの軍情報部と密接な関係をもってきた。インド政府は、アメリカの説得活動もあり当面軍事的な対抗措置こそ否定しているものの、類似の事件が再度発生するようなことがあれば事態は予断を許さない。印パ両国が核保有国であることを忘れてはならない。
インドでの衝撃的なテロ事件はこれが最初ではない。9.11アメリカ同時多発テロ直後の01年12月には、ニューデリーの連邦議事堂襲撃事件が発生し、今回と同じように印パ両国間に軍事的な緊張が走った。その後、06年にはムンバイでの通勤列車同時爆破により、180人余りが死亡した。あるいは07年には、印パ間をつなぐ急行列車が出火事件を起こしたし、08年に入ってジャイプル、アフマダバード、デリーと、北部インドの大都市でテロ事件が頻発している。
追い詰められるイスラム教徒たち
これら過去の事件では、当初ラシュカレ・タイバなどの「国外」組織の存在が疑われたが、次第にインド国内のイスラム教徒による地下組織が、かなりの規模で存在することが明らかになってきた。こうした組織に関係するイスラム教徒は、中東諸国での出稼ぎなどを通じてパキスタンの軍情報部やテロ組織から接触を受け、少人数からなる連絡網に組織されている。もちろん、そうした組織に誘引されるには、「動機」が必要である。インド国内における若者の就職難、とりわけイスラム教徒の教育、雇用における窮状は明らかである。ごく最近(05年)、インド政府が任命した調査委員会の報告によると、公務員や大学生総数に占めるイスラム教徒の比率は、総人口に対する比率13.4%よりはるかに低く、いまだに約3%から4%にすぎない。また1992年12月のヒンドゥー至上主義団体によるバーブリー・モスク破壊事件、あるいは2002年2月から3月にかけて、ヒンドゥー至上主義政党インド人民党の支配するグジャラート州で発生した、反イスラム教徒暴動に典型的にみられる多数派ヒンドゥー教徒の暴力、こうした問題に敏感に反応し、ヒンドゥー教徒一般や政府への不満を強め、少数派としての被害者意識を募らせる若者がいても不思議ではない。
また中東におけるイスラム復興運動の影響が、神学校教育への援助やモスク(礼拝所)の改修など、さまざまな形でインドにも流れ込むなかで、もともとインドでもある程度の影響力のあったイスラム国家主義、あるいは純正イスラム主義の思想が、青年層をとらえはじめた。そうした組織の一つに1977年に結成されたインド学生イスラム運動(SIMI)という団体がある。SIMIは2001年以降、インド政府の弾圧もあって急速に非合法活動に傾いており、近年のテロ事件の多くで、当局の疑いは、まずSIMI参加者かその周辺の者に向けられている。08年のアフマダバードやデリーなどでのテロ事件で犯行を名乗り出た「インディアン・ムジャヒディーン」は、SIMI関係者の偽装名であると考えられている。ただし、ムンバイの同時テロでは、国内の協力者による関与が疑われてはいるが、確認の段階までいっていない。
テロの拡散は、実はイスラム教徒に限られた現象ではない。たとえばヒンドゥー教徒の女性修道者や現役軍人が関与したとみられる、いくつかのテロ事件が起こっている。ムンバイの同時テロで射殺されたマハーラーシュトラ州のテロ対策班班長は、死の前日までその究明を担当していたが、その突然の死亡によって、捜査は宙に浮いた形になっている。これらの事件はいずれも、当初イスラム教徒によるものと思われていただけに、捜査は大変注目されていた。このほかにも、「ナクサライト」と呼ばれる極左派や、アッサム州をはじめとするインド東北部における分離主義運動による爆破事件も後を絶たない。
差別とテロのはざまで
こうした少数派としての不満によって、インドのイスラム社会全体が、イスラム過激派のテロ行為の温床になっているなどと説かれることもあるが、それはやや単純に過ぎよう。たとえば、インド最大のイスラム神学者団体である、インド・ウラマー(神学者)協会は、くりかえし反テロリズムの立場を明らかにし、多くのイスラム教徒によって支持されている。ムンバイのテロ事件の直後もイスラム教徒による平和行進が組織された。むしろ一般のイスラム教徒は、テロがイスラム教徒全体への疑惑を助長し、一部のヒンドゥー教徒による攻撃に口実を与えていることを憂えている。たとえばインドの警察当局によるテロ捜査では、イスラム教徒の若者(とくにSIMI関係者)やパスポート保持者などを一網打尽に拘束してから選りわける。嫌疑の濃厚な被疑者には自白剤を投与する。テロ事件が発生するたびに警察当局によってとられるこうした強引な捜査方法は、人権団体などの批判を受けつつも、依然として続けられている。そして、これがさらにイスラム教徒の疎外感と反発を強めている。一般にイスラム教徒の間での警察への信頼感は極めて低いといってよい。また、すでに大都市においては、イスラム教徒への不動産の賃貸を拒否する事例が頻発している。グジャラート州のスーラト市では、不動産業者団体が賃貸拒否の決議を出すという事態すらみられる。ウッタル・プラデシュ州では弁護士協会がテロ関係者を弁護することを拒否している。こうして、インドで頻発するテロは、イスラム社会の疎外感だけでなく、人権意識そのものの麻痺(まひ)すら招こうとしている。
インドのイスラム教徒にとって、ヒンドゥー至上主義が前門の虎ならば、イスラム過激派によるテロは後門の狼にほかならない。多くのイスラム教徒が望むのは、インドという宗派を超えた共通の家のなかで、教育、雇用といった基本的な生活の権利を確保することなのである。