政府の対応をジョークのネタに
「中国サッカー協会は語った。『中国サッカーは2014年ワールドカップに出場できるだろう。君が信じようが信じまいが、私は信じる!』」流行語は常に時代を映す鏡だ。2011年7月23日に浙江省温州市で発生し、多くの死者を出した中国の高速鉄道事故を機に、このようなジョークが中国のネットで広がっている。きっかけとなったのは、王勇平・鉄道省報道官の同月25日の記者会見での発言だった。
事故現場の車両をなぜすぐに埋めてしまったのか?―誰もが疑問を抱いた鉄道省の不可解な対応に、王報道官は次のように答えた。
「現場責任者の話では、地面がぬかるんでいたため、作業をやりやすくするために車両を埋めたとのことだ。あなたが信じようが信じまいが、私は信じる」。王報道官は手振りを交え、自信たっぷりにこう答えた。
事件発生からわずか1日で生存者の捜索を打ち切り、車両の撤去作業を始めた鉄道省。ところがまさに撤去されようとする車両からは、瀕死の状態の女の子が発見された。捜索のずさんさを批判する記者に王報道官はこうやり返した。「これは奇跡なのだ。まさに奇跡が起きたのだ」
被害者や家族の感情を逆なでするこの発言がテレビなどで報道されると、「網民」(ネット市民)の不信と怒りが爆発、動画サイトなどにも、これをネタにしたジョークが次々と掲載された。なかでも傑作なのが、次のようなものだ。
「鉄道省の幹部が秘書(実際は愛人)と海外に“出張”、1年半後に帰ってきたら、女房のおなかが大きくなっていた。『誰の子だ!』『あなたのよ!』『そんなことあるわけないだろう!』『奇跡が起きたのよ!』『信じられるか!』『あなたが信じなくても、私は信じるわ』」。ネットではこの「信じます」Tシャツまで作られ、売られている。
網民にとって、こうしたパロディーは事件に対する一つの表現にすぎない。鉄道事故への怒りや悲しみなど、網民の生の声を伝えたのは、当局による厳しい規制を受けながらも、ここ1年の間に急速に広がりを見せた、ツイッターとよく似た短文投稿サイト、「微博」だった。
事故から2日後の7月25日、「列車事故で我々はなぜ微博を見なければいけないか」というタイトルの記事が、IT評論家の陳永東のブログに掲載された。
「今日の中国では、微博の力はますます拡大し、列車事故の中でその力が余すところなく発揮されただけでなく、多くの事件でこれまでのメディアが果たせなかった役割を果たした。我々中国人は微博を必要としているのだ」
とこの記事は結んでいる。
メディアを揺さぶる微博の「ツイッター化」
微博は情報を伝達しただけではなく、網民たちの心を強く結びつけた。微博は事故に巻き込まれた家族の安否確認や、現場近くの住民による献血の呼び掛けにも使われた。「我々はいったい何が起きるか分からない同時代という同じ列車に乗っている。明日は別の人が我々を助けてくれるかもしれない。こうした核心的価値(良心や助け合いの精神)が存在する限り、我々の社会は脱線しない」(7月26日、揚子晩報)。
微博が中国で急速に広がったのは2010年だ。アクセス規制などの当局の妨害により、ユーザーが10万人前後と伸びなかったツイッターとは異なり、微博はここ1~2年で爆発的なブームとなった。
中国インターネット情報センター(CNNIC)の発表では、微博ユーザー数は1億9500万人で、ネット人口に対する普及率は40.2%。これに対し微博の大手ポータルサイト「新浪」、「騰訊」はそれぞれユーザーが2億人以上に達したとしている。
ただ筆者は当初、微博をツイッターとは似て非なるものと考えていた。ツイッターはアクセスが規制されている一方で、中国側で検閲を行うことが不可能であることから、著名な芸術家の艾未未ら政治的な意識の高いユーザーが集まっている。一方の微博は当初、芸能人やスポーツ選手を取り込んでフォロワーを増やしていたし、日本で言う「~なう」のような個人的なつぶやきがほとんどだったからだ。さらにメディアを監視、規制する共産党中央宣伝部などの意を受けた厳しい検閲によって書き込みがしばしば削除される微博は、大きな力を持てないだろうと高をくくっていた。
ところが今回の列車事故を機に、世論形成の場としての微博の役割が爆発的に広がり、いわば「微博のツイッター化」が進んだと筆者は考えている。
つまり、ある社会問題について、もともとは全く無縁の人々がネット上に情報を提供しあい、知識や感情を共有する。その結果、強大な世論を作り出すと同時に、さまざまな困難に置かれている人々を助けようと呼び掛けるなど、いわばバーチャルな共同体を作る機能が育ってきたということだ。
ネットに比べ、中央宣伝部など当局の規制を受けやすい商業メディアも、今回の鉄道事故ではこれまでの厳しい規制を突破しようと努力した。
事故発生から初七日に当たる7月29日夜、中央宣伝部は次のような指令をメディアに発した。
「列車事故に対する内外の世論は複雑化している。各地方メディアは傘下のウェブサイトも含め、事故の関連報道をすぐに控えめにすること。肯定的な面を伝える報道や、権威部門が発表する情報以外は、いかなる報道や評論も発表してはならない」
つまり、事件についての記事の掲載を禁止し、国営新華社通信の報道のみを許すとの厳しい規制だ。だが一部のメディアはこれに従わず、たとえば「河南商報」は、一面すべてを使って、犠牲者を悼み、真相究明が進んでいないことを批判する紙面を掲載した。「南方日報」も8月4日、「決して批判の声を沈黙させてはいけない」という評論を発表し、名指しこそしないものの、中央宣伝部の統制を批判した。こうした大胆な報道を出せたのも、微博による世論の支援があったからだ。
「マイクロパワーが中国を変える」
「ネットはしょせんバーチャルな世界にすぎず、現実を動かすことはできない」という指摘もある。だが微博などでの呼び掛けがきっかけとなり、現実の場で現実の行動が始まる事態が起きている。列車事故では献血運動や被害者への募金活動が起きたし、つい最近は、大連に建設中のパラキシレン(PX)工場に反対する大規模なデモが発生、数万人の市民が市政府に押しかけ、指導者は工場の操業停止を約束した。「微動力(マイクロパワー)が中国を変える」―今回の事故を通じて言われるようになった言葉だ。まさに「網民」一人ひとりは微力だが、微博(やその最先端であるツイッター)はこれを巨大な世論へと変える力がある。「微博は社会の減圧弁であり、政府を公開、透明な方向へと進める」(7月29日、第一財経日報)。だが、バーチャルな力には限界もある。何らかの社会的、政治的な主張を現実化するには、NGOなどの組織化が必要だが、政府はすぐにはそれを認めようとはしないだろう。
「微博による(政治に対する)監視は、中国を変えることはできないかもしれないが、中国の世論をすでに変えている。人々が世論(喚起の段階)から、いかに行動に出るか、それが次の問題だ」と、台湾の評論家、張鉄志は2011年8月14日に発表した評論の中で指摘した。
こうした行動は、大連PX事件などでも現実に起きつつある。今すぐに、民主化などのより大きな政治体制改革を要求することは無理だとしても、「人々は微博を使って政府との対話を始めた」(北京大学の研究者、胡泳)のである。微博やツイッターが生む「微動力」(マイクロパワー)が変えつつある中国社会を、慎重だが期待を込めてウオッチしていく必要がある。