それを聞いたのはすでに引き受けてしまった後だったので、そのままやることにはしたのですが、当日役所に行ってみたら、すごい豪華な建物なんですよ。立派な噴水があって、ガラス張りのエレベーターがあって。腕に抱えていた材料の大根を噴水の中に投げたくなりました(笑)。
そうやって、建物などのハードには湯水のようにお金を使うのに、人に対してはお金を払わない。ニュースだから、公的機関だからという理由で人に「ボランティア」を強制する。それって何かおかしくないか? と思っていたところだったので、販売者さんに対して「対等なパートナー」として接する『ビッグイシュー』のやり方が、とてもいいなと思ったんです。それで、今度はこちらから、ボランティアで何かやらせてください、と申し出て、料理ページの連載をいただくようになりました。今ではちゃんとギャラもいただいてますよ。
そうやって『ビッグイシュー』とその販売者さんたちに関わる中で気づいたのは、私自身、「ホームレス」の人たちを思い描くときに、「おじさん」──ある一定年齢以上の男性だけをイメージしてたんだな、ということ。でも実際には、もっとずっと若い人たちの状況も大変なことになっているし、もちろん貧困に苦しんでいる女性たちもたくさんいる。そのことを自分が全然イメージしていなかったことに気づかされました。
いつも「きちんと、ちゃんと」しなくてもいい
今の日本社会を見ていて嫌だなあと思うのは、「きちんと決まりどおりにやらないとダメ」「ちゃんとやらないとダメ」という空気が蔓延(まんえん)していることです。東日本大震災の被災地へボランティアに行ったときに、特にそれを強く感じました。
せっかく支援物資が届いていても、数が足りなくて全員に均等に分けられないから配らないとか、ストーブがあるのに、あっちのストーブの分の灯油がないからこっちもつけないとか、そういうことがあちこちであったんですね。避難所に傷みそうな野菜がいっぱい積んであるから「もったいないから、料理しましょうか」と聞いても、「うちの担当じゃないので」「私は担当じゃないから分からない」とたらい回しにされたこともありました。
「大人食堂」のときも、ごはんを炊いて、最初はみんなに均等に配れるようにおにぎりにしてたんですけど、どうせおにぎりの大きさだってまちまちなんだし、食べたい量も人によって違うなあと思って、途中から炊きたてごはんを鍋ごとそのままどーんと出すようにしました。そうしたら、みんな自分の好きなだけよそえるし、周りの人の分までよそってくれる人が出てきたりして、にぎやかですごくいい雰囲気になったんです。なんだか疑似家族みたいに、わいわいして。その場、その時に、それぞれ臨機応変に対応することが大事だなっていう思いを強くしました。
何かイベントやプロジェクトをやろうというときも、じゃあまずきっちり計画を立てて、準備しないとダメだよって言われることが多いです。でも私、そういうことがすごく苦手なんです。
もちろん、きっちりした計画や準備が大事なことも分かるけれど、実は「後から誰かに文句を言われないように」計画を立てるっていうのもあるんじゃないかなあ、と思って。ひたすら計画を、準備を、と考えているうちに、やらなくちゃいけないこと、やりたいことがどんどん逃げていっちゃう気がします。まずは動き出して、ここが問題だなと思うところがあったらそれを一つずつ解決していく。そういうやり方が、私は好きなんだと思います。というか、そんなふうに進めていかないとモチベーションを維持できないのかもしれません。
誰の「食」も否定したくない
私は料理が得意でそれを仕事にしてきたし、人に自分の作ったものを食べてもらうのが大好きです。一方で、料理がうまいからそれが何なんだ、料理ってそんなに「特別」なものじゃないでしょ? という思いもあります。
もちろん、食べものがなかったら人は生きていけないし、食べることも食べものを用意することも大事。ただ、料理するって、一歩間違うと「手作りが愛情表現だ」みたいな道徳的な話とすり替えられたり、「料理は女の仕事」といった価値観を押しつけられたりしがちだから、そこはすごく気をつけなくちゃいけないと思っています。
あと、安全でおいしいものを食べたい、体にいいものを食べたほうがいいという思いは当然あるけれど、誰かに対して「肉ばっかり食べてちゃダメだよ」とか「またコンビニのごはん食べてるの?」とか、そういうことは絶対に言いたくない。食べもののことを仕事にしているからこそ、食べものに関しては否定形の言葉から入りたくないと思うんです。
たとえばコンビニのものばかり食べてる人がいたら、ただ「それじゃダメだよ」って言うんじゃなくて、なんでこの人はコンビニごはんしか食べられないんだろうということに目を向けたいなと思う。料理する時間がないのかもしれないし、経済的な問題なのかもしれない。その理由を一緒に考えた上で「こっちにもっとおいしい、体にもいいものがあるんだけど、食べてみない?」って差し出したいんです。
食べることは生きることでもあるから、その人が食べてるものや食べ方を否定すると、その人の生き方まで否定することになっちゃう気がするんです。「これはダメだよ」って押しつけるんじゃなく、価値観や習慣の違いも受け入れた上で、人は食べて生きていくんだよね、という前提をおおらかに共有したい。そう思っています。
キッチンの窓を開けて社会とつながる
『ビッグイシュー』の他にも、日本各地の生産者を支援する「チームむかご」の活動や、種子法や種苗法の勉強会や活動、「学校給食を有機無農薬に」を進めるイベントなど、いろんな活動に関わっていますが、根っこは全部同じだと思っています。自分がやれること、やったほうがいいと思うことを淡々とやっていく。気になったこと、変だと思ったことを、自分をごまかして「別にいいや」ってスルーしたくない。
そう考えるようになったのは、やっぱり東日本大震災と福島第一原発事故がきっかけ。農業のこととか、原発のこととか、おかしいなと思うことがあっても、ほったらかしにして何も行動してこなかった結果がこれなんじゃないか、とあのとき気づいたんです。
〈東京アンブレラ基金〉
「誰も路頭に迷わせない」東京をつくるため、9団体協働で緊急一時宿泊時の宿泊費拠出と横断的な調査をおこなう基金。2019年に設立。
〈一般社団法人つくろい東京ファンド〉
2014年6月、東京都内で生活困窮者の支援活動をおこなってきた複数の団体のメンバーが集まり設立。代表理事は、稲葉剛さん。
〈NPO法人POSSE〉
2006年に設立された、労働相談、労働法教育、調査活動、政策研究・提言を行うNPO法人。
ビッグイシュー
ビッグイシューは1991年にイギリスで始まった事業。雑誌『ビッグイシュー』を発行し、ホームレス状態の人々にその販売の仕事を提供している。販売者は雑誌を路上で売り、その売上げの約半分を収入として得られる。『ビッグイシュー日本版』は2003年から発行。枝元さんは、『ビッグイシュー』誌上で「ホームレス人生相談×枝元なほみの悩みに効く料理」というページを連載している。NPO法人ビッグイシュー基金の共同代表でもある。