「英語がうまく話せない」という英語コンプレックスは、おそらく多くの日本人が持っているだろう。「日本の英語教育は文法重視、だから英語が話せない」とも言われるが、実は1980年代後半から日本の英語教育は会話を中心とする「コミュニケーション重視」に舵を切り、2000年代初めからは公立小学校での英語教育も進められてきた。しかし、学校で英会話を学んできた若者たちが「英語が話せる」ようになっているかというと、逆に英語力が落ちているという指摘もある。現在の日本の英語教育の何が問題なのか、「英語が話せる」ようになるにはどうすればいいのか、そしてなぜ私たちは「英語が話せる」ようになりたいのか……英語教育の専門家として提言を続けてきた鳥飼玖美子・立教大学名誉教授にうかがった。
「ペラペラ英語」と「使える英語」は何が違うのか
――2022年11月、東京都は都内の全公立中学3年生を対象とする中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J:English Speaking Achievement Test for Junior High School Students)を実施し、中学校の学習で「どれくらい英語が話せるようになったか」を測るとともに、2023年の都立高校入試の合否判定に活用するとしています。また、文部科学省は来年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で中学英語のスピーキングテスト実施を決定しました。「日本人は学校で何年勉強しても英語が話せない。スピーキングテストを導入すれば英語を話す練習をもっとするだろうし、いいことなのではないか」という意見もある中、鳥飼先生は英語教育の専門家の立場から、こうしたスピーキングテストに反対だとうかがいました。
まずESAT-Jについては、制度の瑕疵(かし)も含めた数々の問題があることを教育社会学者の大内裕和先生はじめ多くの方が指摘していますので、私は英語教育や異文化コミュニケーションの観点からお話ししたいと思います。これは全国学力テストのスピーキングテストについても、基本的にあてはまることだと言えるでしょう。
もちろん、英語のスピーキングを勉強するのは悪いことではありません。ただ、英語に限らず外国語を話すということは本当に難しくて、決まり文句を覚えればすぐできるというわけにはいかず、学んだことがパッと口から出るまでには相当の勉強が必要になります。特に英語は、日本語とは音韻も文法も論理の組み立ても文化的背景もまったく違う言語です。「学校で何年も勉強したのに、英語を話せるようになれなかった」と言う人は多いですが、週3〜4時間という限られた学校英語教育では基礎的なことをしっかり教えるだけで手いっぱいなのです。ただでさえ授業時間が足りないのに、ESAT-J対策をせざるを得ないとなったら、点数を取ることと引き換えに、大事な基礎の英語学習がおろそかになってしまうと、私は非常に危惧しています。
では、どうすれば英語が話せるようになるかというと、自分で勉強するしかないんですね。私自身も含め、職業として英語を使っている人たちは毎日英語の勉強を欠かしません。それくらい大変なことを「学校で勉強してもできるようにならない」というのは、自分が努力しなかったことの責任転嫁だと思います。
また、テストを導入すれば英語が話せるようになるはずだ、という考えも少々楽観的すぎるのではないでしょうか。今の若者たちは中学や高校でESAT-Jに酷似していると言われる「GTEC」(ベネッセの英語テスト)を受けてきた世代ですが、大学教員の間ではむしろ「学生の英語力が落ちた」と嘆く声が後を絶ちませんし、30歳以下の英語教員についても同様の問題が言われています。
――近年、日本の英語教育においては「読む」「聞く」「話す」「書く」の「四技能」が重視され、従来のテストでは測りにくい「話す」力を見るために、スピーキングテストが導入されることになったと聞いています。少なくとも英語を話す力の測定という点で、スピーキングテストは役立つのではないでしょうか。