明るく季節感に富んだ里山はどこへ
かつて里山は、有機的資源を循環利用させることで人々に持続的な生産、生活の場を与えてきた。薪や炭を得るために周期的に人手が加えられた林内は、明るく季節感に富み、人間と自然との触れ合いの場となり、和歌や俳句、日本画といった伝統文化にも素材や情景を提供し、発展させてきたのである。ところが近代になって化石燃料や化学肥料が普及し始めると、大きな役割を失った里山は次第に見捨てられていった。半世紀近くも放置されて木々が密生した林地はいま、昼間でさえ薄暗い、閉鎖的な空間に変わり果てている。
私の主要な調査・研究エリアである九州北部では、シイ、カシ類をはじめとする常緑広葉樹が旺盛に生長し、そのためヤマザクラやクリなどの落葉広葉樹は、競争に負けて立ち枯れが目立ちだした。また中~低木層も日陰に強い常緑広葉樹で占められ、明るい日照の下で生育するツツジ類などの草木は姿を消してしまった。こうした植物相の変化は、里山の自然環境に依存してきた昆虫や鳥などの生態系にも大きく影響するのは言うまでもない。
今、ようやく見直されつつある里山
人々が手入れを放棄したことで、かつて里山だった場所は、常緑広葉樹が優占する自然林本来の姿に戻りつつある。自然破壊が進む現代の日本においては、いかなる形にせよ自然の復元は生態的にも景観的にも歓迎すべき点はあろう。しかしすべての里山が、そのようにして失われていくと、私たちの身近な場所から季節感や種の多様性が消え、生活の潤い、自然との触れ合いの機会も少なくなる。さらに都市の膨張によって人も通わないうっそうとした林地が、生活圏と隣り合わせになり、無秩序な宅地開発を助長したり、ゴミの不法投棄、犯罪の増加といった心配を顕在化させることにもなりかねない。
そうした危惧(きぐ)の中、ここ数年、地球環境危機の時代に呼応して里山の再生が叫ばれるようになってきた。里山が本来もつ大気浄化、CO2の固定、水源涵養(かんよう)、野生生物や土壌の保全といった作用に加え、バイオマス燃料を柱とした資源循環型社会の再構築なども評価されるようになり、環境省等も再生事業に乗り出したのである。
市民参加型の管理で問題点を克服する
私が1975年より行ってきた調査・研究によると、常緑広葉樹に占拠された里山でも、管理の手を再び加え、林内に陽光を入れれば再生することが実証された。あとは木材資源の枯渇や温暖化等の環境問題が一層深刻になり、社会や市場が里山に目を向ければ、再生・保全は難しいことではない。しかし現時点ではまだ林地の所有者に何の利益もないため、継続的管理を期待するのは困難だろう。里山を再生・保全するうえで、最も困難な問題がここにある。
そこで私は、かつて里山と触れ合った経験を持ち、心に原風景として懐かしい思い出を秘めている世代に目を向けた。市民、行政、専門家でパートナーシップを組ませ、市民参加による里山の管理活動を行うことを提唱してみたのである。88年からは、余暇活動の要素を取り入れたシステム作りを進めてきたが、一連の活動調査で次のようなことが明らかとなった
(1)応募には予想以上の希望者数が見込める
(2)作業は肉体労働が中心だが、参加者の多くから楽しく、やりがいがあると喜ばれる
(3)参加者の中には複数回または全回参加するなど、はまり込む人が多く出て継続性がある
(4)実際に体験をさせると、里山や自然に対する興味や認識をより高めることができる
(5)コミュニケーションや信頼感が醸成される
(6)短い作業時間でも予想以上の仕事がこなせる
(7)参加者の中から独自に活動グループを組織する人材が生まれ、別の地域へ展開していく
イギリスでも進む市民による環境保全
ちなみに海を越えたイギリスでは、1959年にロンドン郊外で42人の市民が「自然保護隊」を結成し、環境保全活動をスタートさせた。それが70年にはBTCV(イギリス環境保全ボランティアトラスト)に引き継がれ、いまや彼らの活動はイギリス国内の里山や田園の保全には不可欠なまでに発展している。私たちが可能性を見いだしたのと同様のシステムが、イギリスでは半世紀も前から実践されてきたのだ。日常性を離れて、少し違ったことをやってみる。それによって新しい世界が開け、人生も充実してくる。市民参加による里山管理には、このような魅力が潜む。しかもその活動は年齢、職業、地位を越えて地球温暖化や人口爆発、食料危機などの環境問題に対して手を取り合って一緒に立ち向かっていこうという意思に連動している。したがって今後、日本でも各地の市民活動グループが連携し、ネットワークを組んで里山を管理していく日本版“JTCV”の設立と活動展開が望まれよう。