世界のベスト4に
サッカー男子は3戦全敗に終わった北京オリンピック。しかし日本女子代表(なでしこジャパン)の活躍はその落胆を補って余りあるものだった。1995年の女子ワールドカップ、2004年のオリンピック・アテネ大会の「ベスト8」を乗り越え、史上初めて世界大会で「ベスト4」に進出したのだ。ニュージーランドとの初戦を2-2で引き分け、続くアメリカ戦を0-1で失って窮地に立たされたものの、なでしこジャパンはグループリーグ最終戦のノルウェー戦で奮闘、グループ3位ながら準々決勝進出を果たした。そして開催地元の中国と対戦した準々決勝は内容も結果も申し分なく、危なげなく2-0で勝って準決勝進出を果たした。
準決勝では再びアメリカと対戦し、前半16分、大野忍(日テレ)の先制点で主導権を握ったものの、前半終了直前に連続失点を喫し、後半にも2点を決められて2-4で敗れた。そして銅メダルをかけた3位決定戦のドイツ戦は、圧倒的に攻め込んだ前半に得点を奪えず、後半、2点を失って0-2で敗れた。
注目すべきは、対戦チームである。アメリカはFIFAランキング第1位で、1996年、2004年と2回のオリンピック金メダル、さらに1991年、99年と2回の女子ワールドカップで優勝を飾っている。今回の北京オリンピックでも、決勝戦でブラジルを延長の末1-0で退け、オリンピック連覇、3回目の金メダルに輝いている。日本が5-1というセンセーショナルなスコアで下したノルウェーは、08年6月当時、FIFAランキング第5位で、95年女子ワールドカップと2000年シドニー・オリンピックの優勝チーム。そしてドイツは、FIFAランキング第2位、オリンピックの優勝こそないが、女子ワールドカップでは03年、07年と連覇を飾っている、いわば「世界チャンピオン」なのである。
今回のなでしこジャパンのすばらしさは、こうした世界のトップクラスに臆することなく挑み、「なでしこのサッカー(日本のサッカー)」で互角に渡り合った点にあった。ひたすら守備を固めてカウンターを繰り出したわけではない。前線からの組織的な守備、ボールを奪ってからのパスワーク、そして果敢なランニングで、立ち上がりから攻勢を取り、相手を追い詰めたことだった。
「なでしこジャパン」の誕生
「なでしこジャパン」の名は古いものではない。04年4月、アテネ・オリンピックを目指すアジア最終予選が日本で開催され、日本は優勝候補筆頭の北朝鮮(現在もFIFAランキングではアジア最高の第5位=08年9月にノルウェーを抜いた)を3-0で下した。この試合は東京・国立競技場に3万1324人という観客を集め、テレビ朝日系列でゴールデンアワーに生中継されて関東地方では16.3%(瞬間最高は31.1%)という高い視聴率を記録。勝ってオリンピックへの出場権を獲得しただけでなく、魂あふれる戦いが日本中に感動を呼んだ。その感動のなかで、日本サッカー協会が女子代表の愛称を募集、「なでしこジャパン」となった。「なでしこ」はアテネ大会で日本選手団の先頭を切ってピッチに登場し、優勝候補のスウェーデンをFW荒川恵理子(日テレ)の1点で破り、さらに大きな注目を浴びた。日本の女子サッカーは1970年代に本格的なスタートを切り、代表も80年代終盤には高い技術をもった選手をそろえて力をつけていた。90年、94年には、アジア大会で連続して銀メダルを獲得している。
しかし日本のサッカーのなかで女子が注目されることは少なかった。その状況を変えたのは、2002年に日本サッカー協会会長に就任した川淵三郎(現・日本サッカー協会名誉会長)だった。その年の秋に釜山(韓国)で行われたアジア大会を視察した川淵は女子のプレーぶりに大きな感銘を受け、女子サッカーの振興と女子代表の強化を政策の柱のひとつに据えた。02年に日本女子代表の監督に就任した上田栄治(現・日本サッカー協会女子委員長)が強化にあたり、2年後、04年のオリンピック・アテネ大会出場にこぎつける。
フィジカルの差を埋めるために
だが、日本の女子が世界の強豪と戦うには大きなハンディがあった。体格、スピード、パワーなど、フィジカルの問題だ。160cm前後の選手が多い日本。しかしヨーロッパのチームも、そして中国、北朝鮮、韓国といったアジアの上位チームも、平均で170cmを超す身長をもち、日本のテクニックをフィジカルで封じてしまうのだ。04年アテネ大会でスウェーデンに勝った日本だったが、試合の大半の時間は、自陣ゴール前で必死に相手の攻撃をはね返していなければならなかった。選手の身長を急に伸ばすことはできない。また、中国や韓国のように、まずフィジカル能力で選手を選び、それを集中的に鍛えるという方法も、日本にはなじまない。日本には全国リーグの「L・リーグ(なでしこリーグ)」があり、選手たちは原則としてそこから選ばれてきている。まず「サッカー」の能力の高い選手を集め、その選手たちを世界に戦える選手に育てることは、男女を問わず日本の育成方法だからだ。
しかしフィジカル能力の差がそのまま試合にでてしまうようなサッカーでは、世界の上位に進出することはできない。上田の後を継いで04年の秋に「なでしこジャパン」の監督に就任した大橋浩司は、GK福元美穂(岡山湯郷)、DF岩清水梓(日テレ)、MF宮間あや(岡山湯郷)、FW大野忍(日テレ)、永里優季(日テレ)などの若手を登用するとともに、スライディングタックル、ヘディングなど、個人として相手と競り合うプレーを徹底して鍛えた。その結果、06年には世界の強豪の一角であるノルウェーを倒すまでになった。
そして08年はじめ、大橋の下でコーチを務めていた佐々木則夫がなでしこジャパンの監督に就任、それまで一貫して攻撃的MFで起用してきた大黒柱のMF澤穂希(日テレ)をボランチで使い、また20歳になったばかりのMF阪口夢穂(TASAKI)を抜てきして中盤を強化した。佐々木監督が就任して最初の東アジア選手権(08年2月、中国)では、北朝鮮に3-2で逆転勝ちすると、韓国は2-0、中国に3-0と3連勝、公式大会で初めて優勝を飾った。
「なでしこvision」が導く未来
アテネ・オリンピックで監督を務め、「なでしこジャパン」の産みの親と言っていい上田は、その後、日本サッカー協会の女子委員長となり、「世界のなでしこになる」ことを目指した「なでしこvision」を掲げている。要点を挙げれば、第1に普及(2015年までに女子選手の登録人口を30万人にする)、第2になでしこジャパンの強化(FIFAランキングのトップ5を目指す)、そして第3に次世代のタレント育成(U-20やU-17女子代表の強化、全国のトレーニングセンターの充実など)が、その中心として据えられている。
「ベスト4になったからと言って、目標に達したとは考えていない。オリンピックでも女子ワールドカップでも、毎回ベスト4以上にはいれるようになることが私たちの目標」
北京オリンピックの準決勝を前に、上田委員長はこう語っている。
北京オリンピックでの快進撃で、日本はFIFAランキングをひとつ上げたものの、まだ9位にすぎない。そして何より、現在の登録選手数は2万5000人と、目標には遠くおよばない。
オリンピックで4位になった。しかしなでしこジャパンは達成感にひたっているわけではない。日本の少女、女性の間でサッカーに取り組む仲間をもっともっと増やすこと、その競技環境を整備し、さらに競技力を上げること――。日本の女子サッカー、「なでしこ」のチャレンジは、まだまだ続く。