驚くほどさまざまタイプがいる
共感覚(シネスシージア synesthesia)とは、「一つの感覚の刺激によって別の知覚が引き起こされる」現象である。文字や数字に色が付いて見える、何かを味わうと手に形を感じるなど、一言で言うと「感覚と感覚の混線」である。語源はギリシャ語の「一緒に・統合」(syn)と「感覚」(aisthesis)とを合わせたとされる。共感覚には多様なタイプがある。文字や数字に色を感じる「色字(しきじ)」、音を聴くと色が見える「色聴(しきちょう)」などがよく知られているが、他にも色から音、味から形、においから色、痛みから色、曜日から色、数字列やカレンダーから空間配置を感じるものなど、これまでに150種類以上の共感覚が確認されている。
共感覚は100年以上前から知られており、共感覚を持つ著名人の体験が記録に残っている。例えば「ロリータ」の作者ウラジミール・ナボコフ(1899~1977)は、文字に色を感じる共感覚者で、「pはまだ青いりんご、wがやや紫がかってくすんだ緑色に見える」と述べている。ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマン(1918~88)は、方程式の文字に色を感じると述べている。
共感覚が出現する確率は、昔は10万人に1人と言われていたが、最新の調査では23人に1人という説もある。1人で十数種類の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいる。芸術家には7倍多く出現するとも言われている。遺伝性が見られることも知られている。ナボコフも息子と母親が共感覚を持っていた。しかし、祖父母から孫に伝わる事例や、双子でも片方にしか発現しない例、また同じ家系でもタイプの異なる共感覚が発現する例も報告されており、メカニズムはまだわかっていない。
しかし共通の特徴がある
共感覚に共通した特徴として、以下の点が挙げられる。(1)無意識的に起こるもので、自分でコントロールすることはできない。(2)個人ごとに異なるが、個人内では一貫性がある。例えば、「火曜日」に感じる色は、黄・赤・黒など人によってバラバラだが、個人ごとに見れば、子どもの時から感じる色が変わることはない。(3)記憶を助ける。例えば、名前や電話番号を色の並びで覚える。円周率πを2万2514けたまで暗唱するダニエル・タメット(1979~)も共感覚の色を使って覚えている。また空間に並ぶ数字の帯を使って計算をする。(4)情動を伴う。単に共感覚が誘発されるだけでなく、「好き/嫌い」とか「快/不快」といった感情を伴う。例えば、数字に色が見える小学生が、計算結果の数字が汚い色だからと、きれいな色の数字に書き換えてしまったり、音楽に色が見えるピアニストが、音楽と合わないドレスを着たくないと言ったりする。情動を伴うことが共感覚の最大の特徴であると考えられる。
なぜ気づきにくいのか?
自分の感覚が共感覚であると気づくのは、物心ついた小学生前後の人もいれば、成人後かなりたってからの人もいる。小学校で初めてひらがなを習った時、書き順を示す色が文字につけられているのを見て、自分の見える色と違うと言った子どもがいる。また小さいころ「音楽に色が見える」と口にしたとき、まわりがそんなことはないと言ったために、以降その話を一切しなくなったという子どももいる。大人になってから初めて気がつく人も多いが、それは共感覚経験が自分にとってあまりに当たり前なので、他人が持っていないことを知るまで、自分の感覚が特別であることがわからないためである。また共感覚は子どものころに強く感じても、成長につれて弱まっていく場合が多い。なぜ研究が進まないのか?
かつては共感覚を客観的に測定する方法がなく、しかもLSDのような薬物による幻覚との区別がつかないために、共感覚は非科学的なものと考えられてきた。しかしここ30年の間に脳機能イメージング技術(脳活動を可視化する技術)が飛躍的に進んだため、共感覚者の脳の中で起こっていることを確かめられるようになった。例えば、音楽の調(ハ長調やヘ短調)に固有の色を感じる色聴共感覚者が、目をつぶって音楽を聴いているときの脳活動を計ると、聴覚野の活動だけでなく、本来活動することのない視覚野の色知覚野(V4エリア)の活動が捉えられる。色知覚野の活動は、共感覚者が確かに色を感じていることを客観的に示す証拠となる。やっと見えてきた原因仮説
共感覚が起こるメカニズムはまだわかっていないが、主に次のような仮説が考えられている。(1)結合が多い。
異なる感覚部位の間に、共感覚固有の強い神経結合(ネットワーク)があるというものである。例えば、数字の知覚部位と色の知覚部位は脳内で隣接していて、色字共感覚者ではその間に通常より強い神経ネットワークが見られる。感覚間の神経ネットワークは生後3カ月までの赤ちゃんには誰でも見られ、3カ月を過ぎると分化、すなわち成長過程において不要なネットワークが刈り込まれるが、この経路が残された人に共感覚が発現するという説がある。この仮説は、生まれた時には万人が共感覚を持っていたという魅力的な仮説である一方で、色字のようなシンプルな共感覚は説明できるが、視覚野と聴覚野のような離れた部位間の混線を説明できない。
(2)抑制が少ない。
異なる感覚同士を統合する部位があって、通常はそこからもとの低次感覚部位へ信号が逆戻りしないように抑制されているが、何らかの理由によって抑制が低下して、本来流れない別の感覚経路へ信号が漏れていってしまうというメカニズムである。この考え方であれば、色聴共感覚のような異なる感覚間で生じる高次の共感覚を説明できる。
究極の疑問「いったい何の役に立つの?」
メカニズム以外にも、共感覚にはまだ不明な点が多く残っている。「黄色い声」や「甘い香り」といった“共感覚的比喩”は誰もが共感できる。こうした通常の多感覚知覚と、共感覚とは何が違うのか? また、共感覚は病気でもなく、特段に優れた能力というわけでもない。にもかかわらず、共感覚が進化において淘汰されずに現在まで残っているのはなぜなのか? 現在の解釈では、共感覚者は関連のないアイデアどうしを結びつけるのに秀でていて、それが芸術性や記憶力を生み出し、その結果として共感覚が進化的メリットを発揮したと考えられている。いずれにせよ共感覚のしくみを解き明かすことは、言語進化や創造性といった人間の普遍的な性質の理解にも役立つと期待されている。LSD
lysergic acid diethylamide
リゼルギン酸ジエチルアミド。麻薬の一つ。