箸や茶碗は「魂の容れ物」
口の接触を自分だけの世界に封じ込めておくマイ箸とマイカップの習慣が伝えているのは、日本人のいわば「私(わたくし)の論理」である。集団志向が強く、自立主義や個人主義が未成熟だといわれる日本人なのに、なぜ自我の象徴であるかのように、自分の箸や茶碗にこだわるのか。それは「一寸の虫にも五分の魂」という諺(ことわざ)がよく表しているような、自分で自分を大切にする日本人の内向きの平和主義なのである。日本人にとって箸や茶碗は単なる食器ではなく魂の容(い)れ物であり、自分を安心させてくれる究極の私物なのである。
一般社会と特殊な社会、その二つの社会に共通している固めの盃の習俗に底流しているのは、飲食物を共有し分配するに際して行われる口の接触は、魂の接触である、という古い観念なのである。
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