『ヴァンサンへの手紙』というフランスのドキュメンタリー映画が公開される。この映画の監督、レティシア・カートンさんは、友人でろう者(聴覚に障害のある人)のヴァンサンと共に、ろう者の存在を広く知らせるための映画を作ろうと約束していたという。だがある日、ヴァンサンは自ら命を絶つ。監督は、ヴァンサンとの約束を果たすべく、その後もろう者たちの取材を続け、この映画を完成させた。
「ろう」の人たちにとって、重要な言語である手話。しかし、ほんの十数年前まで、手話は音声言語に劣るとされ、多くの国のろう学校では手話の使用が禁じられていた。この映画には、やはり長く手話を禁じられてきたフランスで生きる、ろう者たちの姿が映し出されている。それぞれの手話との出会い、社会からの抑圧に対する怒りや悲しみ、ろう教育の在り方……。
今回、公開に際して来日したカートン監督へのインタビューを、日本で唯一、手話と日本語のバイリンガルろう教育を実践している明晴学園の校長を務めた経験のあるジャーナリスト、斉藤道雄さんにお願いした。
「ろう社会」に入っていくには、長い時間と努力が必要だった
──映画『ヴァンサンへの手紙』には、さまざまなろう者が登場する。カートン監督の亡き友人・ヴァンサンをはじめ、その友人たち、手話講師、俳優、ろう者の権利獲得運動に取り組む人たち、自分と同じくろうに生まれた子どものための学校を探す夫婦……。自らは聴者(聴こえる人)であるカートン監督は、その一人ひとりの「声」を丁寧にすくい上げ、寄り添いながら、彼ら彼女らの内面へと迫っていく。そこに描き出されるのは、聴者の視点からだけでは見えてこない、豊かな「ろう文化」と、人々が互いに強く結びついた「ろうコミュニティ」のありようだ。
斉藤道雄(以下、斉藤) 『ヴァンサンへの手紙』を見て一番驚いたのは、聴者のあなたが、フランスの「ろうコミュニティ」の中に実に深く入り込んで映画を撮っていることです。ろうの人たちというのは、互いに非常に強い結びつきを持っていて、聴者がその中に入っていくのはそんなに簡単なことではないと思うのですが、やはりあなたがきちんと手話を学んで身につけたということが大きかったのでしょうか。
レティシア・カートン(以下、レティシア) それはキーポイントだったと思います。
斉藤 ろうの人たちは、手話を学ぶ聴者に対して好意的なことが多いですね。
レティシア そうですね。日常では、ろう者は常に聴者に歩み寄るために努力しています。それに対して、聴者が手話を学ぶということは、聴者の側からろう者に歩み寄ろうとしていることを意味するからではないでしょうか。
斉藤 一方で、ただ手話ができるというだけでなく、「ろう文化」というものをある程度知らなくては「ろうコミュニティ」の中には入れないというのが私の経験からの実感です。レティシアさんの場合はどうでしたか。
レティシア 確かに、手話は「ろうコミュニティ」への扉を開ける鍵になりましたが、中に入っていくためにもっと重要だったのは、多くのろう者たちと友情を結んだことだったと思います。中でも、この映画を作るきっかけとなった友人・ヴァンサンは最初に扉を開けてくれた人で、ろう者のお祭りや会合など、いろいろな催しに連れていってくれました。今回の映画に出てくる「手話詩」を見に連れていってくれたのも彼です。
ただ、「友情を結ぶ」というのは、一夜にしてできることではないのです。時間も努力も必要でした。手話を身につけるための努力、そして自分で自分の背中を押して、ろうコミュニティに入っていくための努力……。聴者にとってそれは簡単なことではありません。自分以外のみんなが知り合いで、しかも互いに手話で話していて、まるで一つの家族のようです。そこに聴者一人で入っていくには、努力と強い意志が必要でした。
でも、私は「ろう」という、同じ社会の中にある「もう一つの世界」に非常に魅了されていたので、そこにどうしても入っていきたいと思いました。だから長い時間をかけて、努力も重ねて、彼らに近づいていったのです。
斉藤 私も、ろうの人たちと話している時に、聴者の文化とは大きく違う「ろう文化」に触れてびっくりすることがたくさんあったのですが、その一つが、ろうの女性が子どもを生んで、その子がやはり、ろうだと分かった時に、「とてもうれしい」と言っていたことです。フランスのろう者も、おそらく同じように考えるのではないでしょうか。
レティシア 同じです。それを聴いて、聴者はとても驚くのですが、考えてみれば親が自分たちに近い子どもを望むというのは、なんら驚くことではないはずです。ろうの両親のもとに聴こえる子どもが生まれるというのは、まったくコミュニケーション手段の異なる存在がやってくるということ。親たちとはまったく違う経験をして、親たちと違った形で世界を認知して育っていくということを意味します。子どもたちは、親たちが生きてきたのと同じ世界を生きることはできないのです。そう考えれば、子どもが「聴こえる」ことが、自分と子どもを遠ざけてしまう原因になると感じるのは、むしろ当然と言えるかもしれません。
手話詩
手話で演じられる詩歌表現のこと