「本当に出会えるかな」
指定された道は、一つしかないから大丈夫だろう。しかしこちらは車であちらは徒歩だから、スピードが全然違う。すれ違ったら、一瞬で距離ができてしまう。少し不安になり、待ち合わせ場所よりも先に進んで車を停めた。するとオレンジ色のリュックを背負った石川文洋さんが、ストックを突きながら一歩、一歩と進んでくる姿が目に入ってきた。
石川さんはベトナム戦争従軍カメラマン時代(1965~68年)、ベトナムだけではなく沖縄米軍基地から戦地に向かう米兵も取材してきた。81歳を迎えた今も戦場カメラマンのイメージが強いが、石川さんは昨年(2018年)7月9日に北海道・宗谷岬を出発し、沖縄・那覇市までの3500キロを徒歩で巡る旅を続けている。
日本縦断の旅は2003年、65歳のときに日本海側を歩いて以来の二度目だ。しかし2006年に心筋梗塞で入院した。その後、右耳の聴力も失ったという。65歳の頃とは年齢も体調も違うのに、なぜまた日本を歩き通すのか。石川さんに聞いた。
歩いていると、感動のチャンスがたくさんある
「なぜ歩くかと言えば、シャッターを押すチャンスがたくさんあるからです。カメラマンとしてとても嬉しい。いろんな風景や人との出会いもあるからです。『感動は人生の見えない財産』と思っているけれど、徒歩の旅は感動の宝庫です。それに歩いているときは、自由な時間を過ごせるんです。
16年前は5カ月でゴールしたけれど、今回はゆっくりゆっくりだから1年近くはかかりそう。沖縄に到着するのは(2019年)6月頃になると思います」
2018年11月25日、東京に到着した石川さんは、知己に迎えられたビアホールにて、これまでの旅についての報告会を開いた。北海道を出て青森、宮城、岩手、福島、茨城、千葉、東京と歩いてきたが、長野県諏訪市の自宅に戻ったのち、年明けを待ってから、再び歩くことになっていると語った。
2019年1月16日、私と石川さんは神奈川県足柄下郡箱根町から静岡県三島市に向かう東海道で、会う約束をしていた。石川さんは予定より少し遅れたが、その理由は「箱根の関所を撮影していたから」。
アウトドアブランドのモンベルが提供したリュックには、マンガ家の石坂啓さんによる石川さんの似顔絵とともに、「戦争のない世界を!」という文字が。
ゴール到着を予定している6月は、沖縄では『慰霊の日』が毎年開催されている。
「その前に到着したいけれど、わからないですよ。だって前回は1日25キロ前後を歩いたけれど、今回は1日15キロぐらい。なかには10キロしか歩かない日もありますから」
この日は晴れていたものの、時折冷たい風が頬を吹き抜けた。しかし「病院に行くより歩くほうが健康にいいと思うし、毎朝4時に起きていますが、12時前に寝られれば、なんてことはない」と笑った。ただ16年前の旅ではひたすら歩くことに重きを置いていたが、今回東北では東日本大震災の被災地を巡ることにしていたため、徒歩で行くのが厳しい場所は車で向かい、取材をしてから乗車した場所に戻るようにしているそうだ。
「東北は、現在も歩いて行くのは大変な場所もあります。基本的には太平洋側の道を歩いていますが、徒歩が困難な場所は車で向かって、乗車地点に戻ってから再び歩き始めるようにしています。以前の旅で出会った人のうち何人かには会えましたが、東北は町全体がなくなっているところもあるので、全員は探しようがなくて。
北海道では15年前に会った人に再会できたりもしましたが、陸前高田や福島では15年前ではなく、震災後に被災地を取材した際に出会った人との再会でした。
そして前は、県外に出た人が戻ってきて再び仕事をするといった、復興の兆しを取材したのですが、今回見たのは非常に厳しい状況でした。いざ戻ってこようと思っても、町に人がいないから生活もできない。大きな病院ですら取り壊されているのを知ったときは、さすがにショックでしたよ」
80歳になり、今まで感じなかったことを感じられるようになった
一番気を付けているのは、足をくじかないようにすること。だから今歩いている箱根の旧街道のようなゴツゴツした岩場は、ストックで体を支えながらゆっくり歩く。時折カメラを構えたり、路傍の碑を眺めたりと、歩くことそのものを楽しんでいるように見える。
「急ぐ旅でもないので、ゆっくり歩いて何が悪いの?と思うんです。でもこんな岩の道を歩くことは珍しいね。私はカメラマンだから、毎日何かしら感じたことを撮っています。実際に使う写真は少なくても、1日に100枚ぐらいは撮ります。