前編で述べたように、私は、キュレーションが現代アートの専有物であるとはまったく考えていない。キュレーションとはあらゆるジャンルの展覧会に当てはまる、「モノとしての情報」を扱う知的生産の技術であるというのが私自身の基本的なスタンスである。とはいえ、長い年月を経て膨大な研究成果が蓄積され、既に歴史的な評価の定まったコンテンツを対象に、従来と異なる新しい価値を提示することが果たして可能なのだろうか。例えて言えば、仏像や工芸、郷土史の展覧会などもキュレーションの対象足りうるのだろうか。
歴史的価値をいかにキュレーションするか
その容易ではないキュレーションの可能性を、ある事例を通じて探ってみたい。2006年6月23日、パリのエッフェル塔にほど近いセーヌ川河畔にあるミュージアムが開館した。その名もケ・ブランリ美術館。紆余曲折の末に人類博物館とアフリカ・オセアニア美術館の2つのコレクション総計約30万点を統合した同館の開館は、かつてパリ市長時代にルーヴル美術館に原始美術部門の設立を働きかけていたこともあるジャック・シラク大統領(当時)肝いりの大型プロジェクトであり、彼の思い入れの深さは「世界の芸術と文化に優劣は存在しない」ことや「文化を超えた対話の場」を強調した開館記念セレモニーに際してのスピーチにも表れていた。
同館を設計したジャン・ヌーヴェルは、汐留の電通本社ビルなどによって日本でもよく知られている建築家であり、ガラス張りのカラフルな美術館建築はあたかも現代アートの専門館のようだ。現代アート的なのは館内も同様で、巨大な展示空間の内部はオセアニア、アジア、アフリカ、南北アメリカの4つのエリア(この4つのエリアは、いずれもルーヴル美術館の守備範囲の外に位置している)に大まかに分けられていて、固定壁がなく、順路も定まっていない空間を観客は思い思いに逍遥する趣向となっている。仮面、彫像、武具、装身具、楽器、乗物、食器、猟具、漁具、テキスタイルなどの展示品は実に多彩で、しばらく館内にとどまっていても見飽きることがない。
「資料」から「作品」への価値転換
とはいえ、同館が何より画期的だったのは、従来は資料とみなされていた人類博物館のコレクションをあたかも美術作品のように見せようとしたその展示方針である(それゆえ同館は、日本語では「美術館」と表記するのが一般的である)。展示品の大半は見映えを重視して選ばれたもので、ガラスケースに収められた状態でスポット照明を当てられたその展示は、病室に標本を並べたかのような従来の博物館展示とはまったく異質である。展示品に添えられているキャプションにも、美術作品同様に「作者」の名が明記されているものが見受けられるし、ピカソらキュビスムの作家がアフリカの彫刻から、またブルトンらシュルレアリスムの作家がオセアニアや北アフリカの工芸から触発された歴史的文脈もしっかりとフィードバックされている。
この斬新な展示方針は刺激を欲する多くの観客から歓迎されたが、同時に激しい反発を引き起こすことにもなった。最新の展示技術を駆使した見映え優先の空間演出が資料としての価値を損ねているとする文化人類学者や民族学者の批判、あるいは「初期美術」のアノニマスな創造性が西洋的なアートの作家主義的な価値観に従属させられているとする美術史家の批判は、その代表的なものだ。
ちなみに、ケ・ブランリ美術館の方針に対する私見は、同館の展示に対する批判はいたってまっとうであるが、キュレーションという観点に立つ限りは、従来とはまったく異なる価値観を打ち出そうとした同館の姿勢も認めねばなるまい、というものである。
積み重ねによる「ノート型」から、組み換え自由な「カード型」へ
ここで、キュレーションという観点からみたケ・ブランリ美術館の姿勢を考える一助として、前回紹介した梅棹忠夫の情報整理法を思い起こしておきたい。梅棹は知的生産の技術という観点から、ノートにはページが固定されていて書いた内容の順番を変更できない欠点があることを指摘し、逆にカードにはページの取り外し、追加、組み換えが自由にできる利点があることを強調する。実際に野外調査の記録媒体をノートからカードに変えたことによって、生産性が大いに向上したという。この図式に倣えば、人類学、民俗学、先史美術といった個々の専門的な研究成果の積み重ねに依拠し、また順路の固定された従来の博物館展示はノート型、一方、複数の分野の研究成果を自在に組み替えてそこから生まれた新しいアイデアを具体化した、決まった順路のないケ・ブランリ美術館の展示はカード型と言えるだろうか。21世紀の現在、実際に研究や展示の現場で活用されているのはデジタル化されたデータベースであろうが、資料を作品として扱うケ・ブランリ美術館の方針の背景に、大胆な情報整理の実践があったことは間違いない。
開館直後のインタビューで、館長のステファン・マルタンは、従来の美術館との対比でケ・ブランリ美術館をインターネット型の美術館であると明言している。これは、同館の展示がカード型であることを示しているのはもちろん、ITによる情報検索というもう一つのキュレーションに対しても開かれていることを意味しているのではないか。
キュレーションとしての民藝
もうひとつ、キュレーションの可能性を示唆するのが、思想家・宗教哲学者である柳宗悦(1889~1961)の提唱した民藝である。民藝には様々な側面があるが、思い切って要約すれば、各地の無名の職人によって作られた日用雑器の中に、西洋由来のファインアートや鑑賞用の古美術とは別の美を見出そうとする思想と言えようか。民藝の重要な要素として指摘されるのが、「自然」「無名」「用の美」などの観点だ。
柳は国内の無名の職人の手仕事への関心を民藝という概念へと集約し様々な活動を展開するが、その一大拠点となったのが、1936年に開館した日本民藝館(東京都)であった。
現在、日本民藝館の所蔵するコレクションは約1万7000点。絵画、陶磁器、漆器、染織などのコレクションの大半は、創設者である柳宗悦が自ら収集したものだ。同館のコレクションを見ていて驚くのが、その対象とする範囲の広さである。例えば陶磁器は丹波、伊万里、瀬戸、唐津などの各地域に及び、国内のみならず朝鮮半島の陶磁器なども幅広く収集している。アイヌや沖縄の工芸品も数多く収集されているほか、欧米の古陶、木工、絵画などのコレクションも数百点に及ぶ。もちろん、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、芹沢銈介、棟方志功といった同人作家の作品も多数所蔵している。果たして柳はどのように雑器の収集を進めていったのか。
民藝は、柳の理念と、実際に収集された多くの作品とが見事に整合している。これは、収集を進めるにあたって、柳が作品に一点一点あたりながら、理念に即しているか否かを丁寧に考えた成果に他ならない。特定の価値判断に従って徹底した作品=情報の取捨選択がなされる民藝は、キュレーションとも大いに通底している。