開高健が見た1964年のオリンピック
開高健の『ずばり東京』(光文社文庫)は、戦後復興に向かっていた60年代、東京の隅々を歩き回り、変貌する都市の光と影、政治と経済の熱と軋み、人や社会の変容などさまざまな断面をオムニバス形式で描いたもので、開高ルポの傑作として名高い。
その中で、開高は1964年の東京オリンピックについて書いている。「チューインガムじみた感傷的ヒューマニズムと浅薄きわまる愛国心とポン引じみた国際愛の氾濫したこの二週間の花見踊り」。開高のオリンピック評はかなり手厳しい。彼は、さまざまな矛盾を力業で押し流すように行われる国家的行事に「田舎者くさい虚栄」と空虚さをみて、日本は自分たちが思っているような大国などではないと嘆いている。
開会式見物で終わるこの最後の文章は「サヨナラ・トウキョウ」と題されている。そこで開高は、高層ビルや地下鉄工事などオリンピック関係の工事で亡くなった人の数を記している。「三百三人」。病人、負傷者の数も忘れていない。「合計千七百五十五人」。開高がしたためたその「数字」が、2021年の東京オリンピックの前後、連日発表され人々に注目されていた「数字」と重なると感じるのは私だけではないだろう。
そしてこの約60年前の文章を読むたびに、今回の東京オリンピックを巡る出来事と、安倍前総理の東日本大震災の「復興」と汚染水の「アンダーコントロール」発言、そして菅総理の「世界の団結の象徴」「国民の命と健康を守る」という言葉を思い出さずにはいられない。
ベトナムで失語に陥った開高
「サヨナラ・トウキョウ」と書き記した開高は、その後すぐに雑誌の特派員としてベトナム戦争に行くことになる。アメリカという大国が東南アジアの小国に一方的に攻め入ったベトナム戦争は、東西冷戦下の代理戦争の様相を呈し、60~70年代の政治の時代の象徴的な出来事として世界的な反戦活動やカルチャーに多大な影響を与えた。
日本が戦後復興からいよいよ成長期に入り、“平和の祭典”に浮かれているまさにその時、海の向こうでは世界を二分するほどの戦争が勃発し、無数の人の血が流れていたわけである。
敗戦を忘れ、なかったことにして、アメリカの庇護の下、経済成長に邁進し小さな平和を享受している日本から一歩外に出たところにある、激動する世界の現実。日本から離れ、戦時下のベトナムにあって開高は失語のような状態に陥る。
「私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。(略)私は目撃者にすぎず、特権者であった。」(『ベトナム戦記』朝日文庫)。安全地帯から高みの見物をしているだけの自分はいまここの現実と切り離されている。内向ではなく遠心力で事物をとらえ、フィクションに安住するのではなくあくまでリアルを書こうとしていた開高にとって、その気づきは言葉を奪われるほど衝撃的なものであった。
2021年東京オリンピックの開会式。無観客のスタジアムに選手団が次々と行進するディストピアのような世紀の光景を目にした時、開高の失語がどのようなものだったか少しは理解できる気がした。
「二〇年間私は鯨の腹のなかで暮してきた。(略)暴風であろうが、凪であろうが、私は壁のない独房のなかでひとりごとをつぶやいてきただけだ」(『輝ける闇』新潮文庫)。開高の失語は、自分が発するいかなる言葉もただの独り言のつぶやきでしかなく、目の前の現実をとらえることもできず、誰にも届きもしないという失意に起因していた。
今回のオリンピックの前後に世に出た議論をみていて、本質を言い当てているものがいまだ現れず、誰もが何か言いよどんでいるような印象があるのは、この祝祭をきっかけにいままで自分たちが見て見ぬふりをしてきた現実が一気に噴出したことに私たち自身がとまどっているからではないか。みたくなかった現実を突きつけられ、私たちもまた開高のように失語を経験しているのではないか。
空疎を極めた政治の言葉
新型コロナウイルスが流行しはじめてから東京オリンピックまでの期間は、まさに“政治の季節”であった。自分たちの生活、命、健康と政治が密接につながっていることをいやというほど実感させられた。経済活動の維持と感染拡大防止、カネと健康……それに伴う格差や補償の問題を巡って私たちは政治の混乱に度々立ち往生させられ、不満を募らせてきた。本来であれば科学的な根拠を基にした対応が必要な局面においてさえ、稚拙で拙速な政治的な判断がまかり通るのを何度も目にしてきた。PCR検査数の抑制、アベノマスク、Go Toキャンペーン問題、二転三転した水際対策など挙げればきりがない。「too little, too late(少なすぎ、遅すぎ)」と揶揄されるコロナ対策もそうだ。その混乱と不満はオリンピック開催にいたって最高潮に達した。
開催直前までの世論調査では過半数が開催に反対していた。増える感染者、デルタ株の流行、医療体制のひっ迫、感染症専門家からも開催を疑問視する声があがり、小池都知事が中止を宣言するのではないかといった憶測までが流れ、とてもオリンピックを楽しむムードではなかった。国内外メディアも開催に懐疑的であり、明確に反対をするものもあった。しかし、増える感染者数と世論を横目に菅総理は中止や延期の議論を一顧だにすることがなかった。既定路線ありきの判断に科学的な根拠も、明確なヴィジョンも示されることがなかった。オリンピックさえやってしまえば国民は現実を忘れる、景気も支持率も上がるという打算しか見えなかった。