第10回: 1974年西ドイツ大会(開催期間1974年6月13日~7月7日)
出場国: 16
予選参加国・地域:99 出場枠 欧州8.5(+開催国西ドイツ)、南米2.5(+前回優勝国ブラジル)、北中米カリブ1、アジア・オセアニア1、アフリカ1
欧州:イタリア、オランダ、スウェーデン、スコットランド、西ドイツ、東ドイツ、ブルガリア、ポーランド、ユーゴスラビア
南米:アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ブラジル
北中米カリブ:ハイチ
アジア・オセアニア:オーストラリア
アフリカ:ザイール
優勝国:西ドイツ
得点王:グジェゴシ・ラトー(ポーランド)7得点
決勝:1974年7月7日(ミュンヘン)西ドイツ2-1オランダ
グループリーグ表 1次リーグ(勝ち点:勝ち2、分け1、負け0。各グループ1位と2位が2次リーグ進出

2次リーグ

決勝

*FIFAは前回大会で3度目の優勝を飾ったブラジルにジュール・リメ杯の永久保持を認めたので、新しいトロフィーを作成することになった。このカップは「FIFAワールドカップトロフィー」と呼ばれ、この大会から正式に「FIFAワールドカップ」と大会の名称もあらためられた。
*第10回の開催地は西ドイツ。16チームの参加はこれまでと同じだが、4チームずつ4組に分かれた1次リーグの後にトーナメントではなく、各組上位2チームが2組に分かれた2次リーグを戦い、1位同士が決勝に、2位同士が3位決定戦へ進む。
1次リーググループ1の最終戦では西ドイツと東ドイツによる最初で最後の東西ドイツ対決が行われた。東ドイツが1-0で西ドイツを降した。
*オランダが旋風を巻き起こす。固定されたポジションはなく全員攻撃、全員守備の「トータルフットボール」で決勝まで進んだ。ディフェンスラインを高めに設定し、オフサイドトラップを仕掛けるなど現代では主流になった戦術を先駆けて実践していた。
*オランダをけん引していたのがヨハン・クライフ。ゲームメイクをする司令塔でありながら、ゴールを決めるポイントゲッターでもあった。2次リーグのブラジル戦で見せたジャンピングボレーから「空飛ぶオランダ人」という異名を持つ。また軸足の後ろにボールを通し急な方向転換で相手を置き去りにする「クライフ・ターン」はのちの選手たちが使う基本的な技のひとつとなった。
このときのオランダ代表のユニフォームはアディダス製。アディダスは3本線がトレードマークだが、クライフはプーマと契約しており彼だけが2本線のユニフォームを着用していた。

オランダ代表。前方左から2番目がヨハン・クライフ(ユニフォームに注目)(写真:アフロ)
*優勝は西ドイツ。この大会で活躍したのがフランツ・ベッケンバウアー。過去2大会は中盤のポジションでプレーしたが、今大会は「リベロ」というディフェンスラインの最後尾にいながら特定のマーク相手を持たない自由なポジションでチームをけん引した。
*決勝は「皇帝」と呼ばれたベッケンバウアーを擁する西ドイツと、「スーパースター」ヨハン・クライフを擁するオランダとの対決となった。キックオフ直後にオランダがPKを獲得し先制に成功。しかし、西ドイツもPKで同点。前半終了間際には前回大会得点王のゲルト・ミュラーのゴールで西ドイツが逆転。そのまま後半に突入し試合終了。地元開催の西ドイツが2度目のワールドカップ制覇を成し遂げた。
クライフ(左)とベッケンバウアー(右)(写真:PanoramiC/アフロ)

新しいワールドカップトロフィーを掲げるベッケンバウアー(写真:アフロ)