第14回: 1990年イタリア大会(開催期間1990年6月8日~7月8日)
出場国・地域: 24
(予選:116 出場枠 欧州13(+開催国イタリア)、南米2.5(+前回優勝国アルゼンチン)、北中米カリブ2、アジア2、アフリカ2、オセアニア0.5(オセアニア予選にはイスラエル、台湾を含む)
欧州: アイルランド 、イタリア、イングランド、オーストリア、オランダ、スウェーデン、スコットランド、スペイン、ソ連、チェコスロバキア、西ドイツ、ベルギー、ユーゴスラビア、ルーマニア
南米: アルゼンチン、ウルグアイ、コロンビア、ブラジル
北中米カリブ:アメリカ、コスタリカ
アジア:アラブ首長国連邦、 韓国
アフリカ:エジプト、カメルーン
優勝国:西ドイツ
得点王:サルバトーレ・スキラッチ(イタリア)6得点
優秀選手:サルバトーレ・スキラッチ、ローター・マテウス(西ドイツ)、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)
決勝:1990年7月8日(ローマ)西ドイツ1-0アルゼンチン
グループリーグ表 (勝ち点:勝ち2、分け1、負け0。各グループ1位と2位、3位になったチームのうち上位4チームが決勝トーナメント進出)

決勝トーナメント

*第14回の開催地はイタリア。前回のメキシコに次ぎ、第2回大会以来56年ぶり2度目のホスト国となった。大会は前回王者のアルゼンチンがカメルーンに敗れる波乱の幕開け。カメルーンは38歳のロジェ・ミラが活躍しベスト8まで進んだ。
*国民から4度目の優勝を期待された地元・イタリアはグループリーグ3戦を無失点で突破。エースと期待されたジャンルカ・ビアッリが不調で、グループリーグ初戦、途中交代のサルバトーレ・スキラッチが頭角を現わし新たなエースの座につく。彼の活躍もありイタリアは準決勝まで進む。
のちにジュビロ磐田でも活躍したスキラッチ(写真:PressAssociation/アフロ)
*今大会はユーゴスラビアのサッカーが観客を沸かせた。中心にいたのは数年後、名古屋グランパスエイトに所属し日本のサッカーファンをも虜にすることになるドラガン・ストイコビッチ。ショートパスを繋ぎ、力ではなくその技で魅せるサッカースタイルを作ったのはのちにジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市川・千葉)監督、そして2006年から1年半、日本代表監督も務めるイビチャ・オシム。当時のユーゴスラビアはセルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナと6つの共和国から選抜したチームだった。その後、それぞれの国に独立したため連邦国家ユーゴスラビアとしてはこれが最後の大会となった。
「東欧のブラジル」とも称されたユーゴスラビア代表(10番がストイコビッチ)(写真:アフロ)
*地元のイタリアは準決勝でアルゼンチンに敗れ、強固な守備で勝ち上がった西ドイツが準決勝でベルギーを破り、決勝は前回と同じくアルゼンチンと西ドイツの戦いとなった。
*決勝では前回大活躍したアルゼンチンのディエゴ・マラドーナを西ドイツの守備陣が徹底的にマーク。攻撃にリズムが出始める西ドイツを今大会では守備的に臨んだアルゼンチンが何とか封じてスコアレスで試合が進む。残り時間5分を切ったところで西ドイツがPKを獲得。これをアンドレアス・ブレーメが決めて試合終了。西ドイツが3度目の優勝を飾った。
*ワ―ルドカップ決勝で1-0のスコアは初めてのことであり、大会を通しても1試合の平均得点が2.21と史上最少で守備的な試合が多く、決勝トーナメントの試合の約3分の1にあたる4試合がPK決着となった。

特に西ドイツのギド・ブッフバルトが90分間完全マークをしてマラドーナを封じた。このブッフバルトものちに日本の浦和レッズで活躍する(写真:アフロ)

東西が統一される前最後の大会ともなった西ドイツ(中央は「リティ」の愛称でJリーグでもプレーしたピエール・リトバルスキー)(写真:アフロ)