海軍で、軍曹などの下士官が兵士に制裁を加えるために使っていた棒。バッターとも言う。正式な備品ではないので、部隊によって異なるが、杉やヒノキ、あるいは樫などの硬い木でできており、長さは60センチから1メートルほど、太さは直径5センチから8センチほど。表面に「軍人精神注入棒」、あるいは「撃ちてし止まん」などのスローガンが書かれている。
「下士官の靴がきたないの、砲口栓の磨き方がなっとらんの、デッキの掃除、洗面器の手入れが悪いの、古い者(注:古参兵)に対する礼儀がなっとらんの、あげくのはては、たるんでるなどと、よくもあるものだと感心するほどならべたて、精神棒(バッター)で、一人一人の尻を力いっぱいなぐるのである」(小林孝裕『海軍よもやま物語』光人社、1980年)
当然、叩かれた側にとっては激痛である。あざができるのはもちろんのこと、時には腰骨を折ったり、これによる負傷が原因で死亡してしまうこともある。
こうした制裁が行われていたのは陸軍も同じである。主な舞台となるのは兵営の同室で寝起きを共にする「内務班」。内務班は約20人で構成されており、下士官が班長となる。ここで制裁を行うのは、主に新兵よりも何年か先に入隊した「古参兵」だ。やはり、ささいなことで新兵をとがめ、制裁を行う。海軍が棒なら陸軍は「びんた」。頬を思いきり平手で打つ。兵士と兵士に互いに「びんた」をさせることもある。
その他に、靴をなめさせるなど、ありとあらゆる陰湿なリンチが行われた。その大義名分は「新兵教育」であった。追い詰められて自殺する兵士も少なくなかった。日本軍兵士の自殺率は外国に比べても高かったという。
軍当局は、建前としては私的制裁を認めていなかったが、実際は黙認していた。厳しい暴力で追い詰めた方が、命令に絶対服従する強い兵士ができると考えたからだ。
体罰や「しごき」は、戦後も学校現場、特に体育系の部活動などで長く生き続けた。「しごき」肯定の思想が軍隊経験に由来するものかどうかについては議論があるが、通底していることは間違いないだろう。