主食の代用となる食べ物のこと。決戦食とも言う。戦況が悪化すると、コメの代わりにさつまいも、じゃがいもなどを食べ、さらに不足する食材の代わりとなるものを探しては工夫して食べるようになった。
日中戦争が始まると、金属や燃料など多くの重要資源を輸入に頼っていた日本は、それらを国で統制し、軍需品の生産に優先して供給する必要が出てきた。そこで1938年に国家が人的・物的資源を全面的に国防目的のために動員し、生産や価格、消費を統制することを定めた「国家総動員法」が成立する。
農村では、原料の統制で肥料などが不足し、金属の統制で農機具が不足し、さらには男性が兵役や軍需産業に動員されて労働力まで不足したことから、食料の生産が減少していった。
1941年からコメが配給となり、定められた量のなかでしか購入できなくなった。翌年には味噌や醤油、塩など、生活に欠かせない多くの食材も配給の対象となった。さらに戦局が悪化してくると、外国や植民地から食料を輸入することも難しくなった。配給は少なくなり、さらにコメの代わりにさつまいも、ジャガイモ、小麦粉、雑穀などが配給されるようになる。
戦争末期には、日々の食事は大根飯や雑炊、小麦粉の団子を浮かべた汁である「すいとん」などになり、さらにすいとんに入れる野菜も雑草に、汁は醤油ではなく塩を入れただけのものになっていった。女性雑誌などは「我家の決戦代用食」「お台所決戦工夫集」といったタイトルで、代用食のレシピを競って特集した。
たとえば、稲わらを粉末にして海藻や小麦粉にまぜて作るうどん。かぼちゃやミカンの皮などを粉にしてつくった団子。小魚の骨をすりつぶしたふりかけ。茶殻も乾燥して蓄えておいて、水で戻して野菜代わりに食べるといった具合だ。
食べられる野草を紹介したり、さらにはヤゴ、カミキリムシの幼虫、ゲンゴロウなどの料理法を紹介したりする記事も登場した。「週刊毎日」1944年4月23日号は、「国内でも前線と同じく、虫けらどもを食べてでも頑張らう」と訴えた(『昭和 二万日の全記録第6巻 太平洋戦争』講談社、1990年)。
不足していたのは食品だけではない。金属や材料が不足する中、さまざまな「代用品」も登場した。紙製の洗面器に紙製のバケツ、紙製のランドセル、さらには紙製のヘルメット、陶製の栓抜き、鮭の皮で作った子どもの靴などなどである。だが戦争末期になると、空襲による工場の焼失、人員や材料の不足から代用品さえ生産できなくなった。