日米開戦後に敵国の言葉として排斥された、英語を中心とした外来語のこと。アメリカやイギリスの音楽も「敵性音楽」と呼ばれて排斥された。
たとえば、敵国アメリカの国技として風当たりが強かった野球では、日本野球連盟が1943年3月に用語の日本語化を決定。セーフは「よし」、アウトは「ひけ」、ファウルは「だめ」といった言い換えが行われた。
他の分野でも、ニュースが「報道」、アナウンサーが「放送員」、マイクロフォンは「送話器」、スタジオは「演奏室」、レコードは「音盤」、コンクールは「音楽顕奨」、音階のド・レ・ミは「ハ・ニ・ホ」となった。国鉄(現在のJR)の駅の案内からは、それまで併記されていた英語やローマ字が削除された。
こうした言い換えは政府が命じたのではなく、大政翼賛会などのキャンペーンに民間団体や企業が同調したものだった。
一方、「敵性音楽」の排斥については内閣情報局の指示があった。1943年1月、内閣情報局は、米英の音楽は「軽佻浮薄、物質至上、末梢感覚万能」に毒されていると糾弾し、「国民の士気高揚」「健全娯楽」のためとして「米英音楽作品蓄音機レコード一覧表」を発表。「私の青空」「ダイナ」「アロハ・オエ」といった当時のヒット曲を含む米英の約1000曲をレコードで流すことを禁止した。これはレコードにとどまらず、演奏の禁止にもつながった。
内閣情報局が発行する『写真週報』は、米英音楽の追放を以下のように訴えている(257号 1943年2月3日号)。
「米英レコードを叩き出そう」「耳の底に、まだ米英のジャズ音楽が響き/網膜にまだ米英的風景を映し/身体中からまだ米英の匂いをぷんぷんさせて/それで米英に勝とうというのか/敵への媚態をやめよ/身を洗い、目を洗い、心を洗って/まぎれもない日本人として出直すことが/まず先決問題だ」