第1回の「宝くじ」が発売されたのは戦争が終わって2カ月後の1945年10月。だがその前に、「勝札(かちふだ)」という前史があった。
戦争末期、軍事費の調達に苦しむ日本政府は、「貯蓄債券」などの債券を売って資金を捻出していたが、その売れ行きも限界を迎えたことから、1945年7月16日、1枚10円で1等10万円が当たる富くじ「勝札」を発売。2億円分2000万枚を発行し、1等の10万円は1本、1万円が9本、1000円が90本。空襲が続くなか、街頭や百貨店などで販売した。発売最終日が「8月15日」だった。
当然ながら、この日の戦争終結によって富くじは戦費調達の意味を失い、「勝ち札」ならぬ「負け札」だなどと言われたが、抽選は8月25日に勧業銀行長野支店できちんと行われた。
そして戦争終結後も、政府は富くじを発行することを決定。今度の目的は余剰通貨を回収することで亢進するインフレを抑えるとともに、戦後復興の資金を調達すること。その名を「宝くじ」と命名した。
第1回の「宝くじ」が発売されたのは1945年10月29日。1枚10円で1等10万円が100本というもので、1億円分が発行された。生活物資が欠乏していたので、4等までには賞金のほかにカナキン(布地)を付け、ハズレ券4枚をタバコ「金鵄(きんし)」10本と交換できることにした。布地があれば家族の服を縫うことができるし、タバコは当時、配給品で貴重だったから人気を呼んだ。
販売促進のために芸人を派遣して各地でイベントを開催、11月12日の抽選は日本橋三越で行い、当選発表の瞬間にはパイプオルガンでベートーベンの「運命」の冒頭部分を演奏するといった演出で盛り上げた。
第2回(1946年1月)以降も、布地に加え、せっけん、サッカリン、ラジオや傘といった賞品が付けられたが、政府発行の宝くじは1954年の法改正で廃止され、その後は「当せん金付証票法」に基づき、47都道府県と20指定都市が宝くじを発行している。