2019年12月4日、アフガニスタンで長年、人道支援活動を行っていた非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の現地代表をつとめる中村哲さんが、現地で移動中に武装集団の襲撃を受けて殺害された。運転手や護衛など同行していた現地スタッフ5人も銃撃で命を落とした。
襲撃後の第一報では「命に別状はない」と伝えられ、驚きながらもひとまず安堵した人も多かったはずだ。しかしそれから間もなく、襲撃を受けた場所に近い東部ジャララバードの病院から首都カブールの病院への移送中に死亡した、と報じられた。
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多くの著作を残した中村さんだが、そのタイトル『医者 井戸を掘る』(石風社、2001年)、『医者、用水路を拓く』(同、2007年)を見るだけで、活動内容がよくわかる。もともとは医師としてアフガニスタンの医療支援に携わっていた中村さんは、あるときからその軸足を「水」、つまり灌漑事業に移すことになる。
中村さんの死去を受けて、日本経済新聞電子版はキャリアを変えるきっかけなどについて本人が語った2018年のインタビューを再掲した。(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52952760U9A201C1000000/)
タイトルは、「中村哲さん 聴診器をスコップに替えて」となっている。これもまた、中村さんの人生を端的に表現しているといえるだろう。
2000年、アフガニスタンを大干ばつが襲い、不衛生な水を飲むなどして多くの人たちが感染症にかかった。中村さんは診療に追われたが、栄養失調が重なって命を落とす子どもも少なくなかった。そこで中村さんは考えたという。記事から引用する。
「医者としてやれることはやった。しかし『これでいいのか』との思いがつきまとう。自問自答の末の結論は『診療所で患者を待つ医療はすでに限界。清潔な水と食べ物がなければ命は救えない』。」
それから中村さんは一念発起し、「『百の診療所より1つの用水路』を合言葉に全長25キロの灌漑用水路の建設を計画」したというのだ。もちろん土木や建築の経験や知識はないが、独学で設計図を描いて重機を運転した。水がやってきた土地では植物が生え、農業も始まった。衛生状態が改善し、仕事によって経済も潤えば、住民の健康状態は当然、良くなっていく。「聴診器をスコップに替え」たのは確かだが、中村さんは医師としてのつとめも立派に果たしていたわけだ。
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一方、国内の医師たちはどうだろう。最近、ネットで血液を“クレンジング”するという言葉が注目を集めた。これは医師や看護師が行う医療行為なのであるが、その目的は疾病を治すことではなく「健康増進」「老化防止」だ。具体的には、まず静脈血を100~150ミリリットル採取し、そこに酸素分子(O2)より酸素原子がひとつ多いオゾン(O3)を投与する。静脈血は酸素を全身の細胞にわたしたあとなので色が黒っぽくなっているが、オゾンと結合することで赤々とした色を取り戻す。それを再び体内に戻す、という一連の行為がそれにあたる。
医療にとくにくわしくない人でも、これは静脈血が酸素原子と結合して赤くなっただけであり、何か特別な“クレンジング”(洗浄)を受けたわけではない、というのはわかるだろう。また、体重50キロの人で体内には4リットル、つまり4000ミリリットルもの血液が流れている。この血液の“クレンジング”では、このうちわずか100~150ミリリットルに酸素を付与するだけであって、それを体内に戻したところで血液全体には大した影響を及ぼさないはずだ。
今回、これがネットで注目されたのは、有名ブロガーやタレント、俳優などが、“私も血液の〈クレンジング〉で自分メンテナンスしてます”“気分がスッキリしました”“カゼを引きにくくなったみたい”などとその効能も含め、SNSで発信していたからだ。それに対して何人かの医師が、血液の“クレンジング”には十分なエビデンス(医学の世界で認められた効果のデータ)がないので、有名人が効果をうたうのはやめてほしい”と警鐘を鳴らしたのだ。
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実は、内科や皮膚科、婦人科など標榜している診療科名に関係なく、この血液の“クレンジング”や、やはりエビデンスに乏しい“高濃度ビタミンC”の点滴、“高圧酸素”のカプセル療法などを、健康保険を使わない自由診療で行うというクリニックが、いま全国で増えている。
それはなぜなのか。もちろんクリニック側は「患者さんに少しでも元気になってもらいたいから」などと説明するが、おそらく本音は「医療者側の手間がかからず」「危険も少なく」「それなりに高額だから」であろう。たとえば血液の“クレンジング”なら1回20~30分で1万2000~5000円。しかも多めに採血してオゾンと混ぜてあとは点滴の要領で血液を戻すだけだから、医師ではなく看護師ができる処置だ。数人で同時に行うこともできる。なにせ「エビデンスに乏しい=効果がない可能性が高い」のだから、逆に有害事象つまり副作用の心配もほとんどない。
やや辛辣にすぎる表現をあえて使えば、毒にもクスリにもならない“安全”な施術だが、血液の“クレンジング”なら血液の色が鮮やかな赤に変わる、といった視覚的なインパクトなどはそれぞれ強くあるので、受けた側はいかにもすごい治療をやってもらった気になる。そして、心理的な作用によって、「元気になった」「頭の霧が晴れたみたい」「カゼも引きにくい」などと健康回復や疾病予防効果をおのずと感じてくれるのだ。
これまでも標準的な医療を行っている医師たちは、こういったエビデンスに乏しい自由診療での点滴やサプリメント投与などを、非常に冷めた目で見ていた。仲間うちで集まる研究会や学会では、「あれって“ニセ医療”なんじゃないの。よく良心がとがめないよね」などとかなり踏み込んだ批判をし合うこともあった。
しかし、これはある意味、医療の世界の“悪しき伝統”ともいえるのだが、医師はほかの医師がやっている治療や唱える健康法などに対して、よほどの危険を伴うものでない限り、表立っては口出ししない。「賛成はできないが、その医者がやりたければやればいいし、患者さんも受けたければ受ければいい」というスタンスで、スルーする人が圧倒的に多かったのだ。
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ただ、情報化社会であまりにも多くの医療情報が飛び交うようになり、どう見ても患者さんにデメリットを与えるような発言を繰り返す医師も出てくる中で、「黙ってはいられない」と立ち上がる医師も出てきた。たとえば日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科の勝俣範之教授は、著作や講演、さらにはSNSでさかんに「正しいがん情報の見極め方」を発信している。そこでは、「がんは放置せよ」などと主張する医師の名前をあげて批判することも臆さない。
医師たちによる「血液の“クレンジング”批判」も、そんな変化の中で起きたことといえる。ただ、実際にはこういった「エビデンスなき医療」はすでに世に蔓延しているとも思われ、いまさら「この療法は効果ありません」と一部が声をあげたところで、流れが止まるとは考えられない。
この背後にあるのは、やはり「医療にまで広がる市場原理主義」だ。「簡単で儲かる医療をやって何が悪いのか」という声が大きくなりすぎて、抗いにくくなっているのが現実なのである。
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そして、市場原理主義に呑み込まれているのは、何も民間クリニックやそこを運営する医師だけではない。国全体の医療を司る厚生労働省も、「儲かる医療が正しい」という価値観に侵食されているかに見える。
2019年9月、厚労省は2025年までに「再編・統合を促す公立・公的病院」として、全国424の医療機関の実名を公表した。