ちょうどこの年に団塊の世代が75歳を迎えて後期高齢者になるので、その前に赤字が膨らむ公的病院に手を入れ、医療費抑制を図るのがねらいと考えられる。
また同年12月17日に政府は、病院再編・統合を促す地域医療構想を進めるため、病院が病床を削減する場合に「ダウンサイジング支援」として2020年度だけで84億円の国庫負担補助金を交付する、と発表した。「病床を減らすための支援金」というのはすぐにイメージできないが、すでに設備投資が行われて赤字が出ているなど、「病床を増やしてしまったが減らしたい状態」に陥っている病院には喉から手が出るほどほしいお金だろう。
ただ、この「公表された424の病院」がどういう基準で選ばれたのかが問題なのである。これらの病院は、厚労省のワーキンググループが、病床稼働率やこれまでの赤字額などから機械的に計算を行った結果、選定されたのだ。
その病院がある地域の特性や、どういった患者を扱っているかなど、個別の事情がまったく考慮されていない。そのため、これらの病院のある地域からは、「このあたりで唯一、人工透析ができる病院なのに。ここがなくなったら生きていくことができない」「過疎地の有床診療所なので患者数が少ないのは当然。でも地域の命綱となっている」など、住民の悲鳴のような声が聞こえてくる。
医療に市場原理をあてはめ、「稼げない病院は統廃合」とナタを振るうことは、「弱者切り捨て」に直結する。それは、多くの医療倫理の綱領や憲章に記されている「すべての人に平等に医療を行う」という理念にも抵触するものである。
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中村哲さんは、「聴診器をスコップに替えて」アフガニスタンに用水路を建設し、結果的に住民の健康改善にも貢献することになった。
しかし日本の医師たち、さらには厚労省までもが、聴診器を「スコップ」どころか「計算機」に替えて、いかに多くを稼ぎ出すかという考えにとり憑かれているようだ。医療がこれでよいわけがないとわかってはいても、「資本主義の世の中、理想論やきれいごとばかり言っていられない」という途方もない“資本主義リアリズム”――この言葉はイギリスの批評家マーク・フィッシャーの同名の書(堀之内出版、2018年)から取ったものである――に押され、それに抗う有効な言葉を私たちは持てずにいるのが実際のところだ。
日本から遠く離れた地で、市場主義経済から解き放たれた医療と人道支援を実践していた中村さんは、道半ばで凶弾に倒れた。ただ、その悲劇によって私たちは改めて、「こんな生き方をした日本人がいるのだ」という事実を目の前に突きつけられることになった。
――このままでよいのか。あなたはいま握りしめている計算機を、預金通帳を、別の何かに持ち替える必要があるのではないか。
私たちはそう問われている。とくに医師である私には、その問いはひときわ大きく響いてくる。少し時間はかかっても、必ず「私が持ち替えるべきものは何なのか」という問いへの答えを、自分なりに出したいと思っている。