「自殺問題に関わり20年ほどになるが、ここまで芸能人の自殺が相次いだのは記憶にない。自殺報道がとりわけ若い人たちに影響があることが分かってきたので、芸能人の自殺対策についても何かできないか検討している」
たしかに診察室でも、芸能人の自殺が報じられるたびに「ショックを受けました」という声を聴く。中には「私も、とつい考える」という人さえいる。そのほとんどは女性だ。では、彼女たちは自殺した俳優やミュージシャンのファンだったのかというと、そうでもなさそうだ。ある人がこう言っていた。
「とくに好きだったわけでもなく、ただテレビでよく見るな、というくらいでした。でも、多くの人を楽しませてきた俳優さんですよね。お金もあっただろうし、家族にも恵まれていたと聞きます。そんな人さえ死んじゃうのに、私なんかたいしたこともできないのに、こうして生きている意味ないですよね。何のために生きてるのかな、と考えるとむなしくなって、死ぬことばかり考えるんです」
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何のために生きているのか。生きている意味とは何か。
精神科医にとって最も答えにくい問いだ。日本自殺予防学会の理事長を務める精神科医の張賢徳氏は、9月28日、学会のホームページで「自殺しないでください」という緊急提言を発表した(「最近の自殺の報道に関する緊急提言」)。芸能人の自殺報道などにも触れ、張理事長はこう訴える。
「他人の自殺の一面だけを見て、『じゃあ、私も』と一線を越えてしまうのは絶対によくありません。死んでしまったら、もうこの世には戻ってこれません。遺された人たちも一生苦しみます。」
そして、「あきらめないで相談してください」と身近な人や専門機関への相談を呼びかけるのだ。これほど力強く「死なないで」というメッセージを発する張医師だが、結末部分ではややトーンが変わる。
「『なぜ生きないといけないのか』と患者さんから問われて答えに窮することがあります。私は精神科医ですが、精神医学がそれに対する答えを持ち合わせていないのです。」
それは、「哲学や宗教の問題だと思います」と張医師は言う。そのあとには再び、「ただ、絶対に一つ言えることは、自殺しないですむ方策が必ず見つかる」として提言を結ぶのだが、「なぜ生きないといけないのか」という問いへの答えは精神医学にはない、という率直な表明が強く私の心に残った。
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では、哲学はどう「生きる意味」に答えるのかと見わたすと、今回、紹介したような反出生主義がブームのようになり、「生まれない方が良かった」としているのである。「いや、それは外的要因の悪化がひどいからだろう。コロナ、貧富の格差、虐待、環境問題などが少しでも改善すれば、反出生主義もトーンダウンするはず」と言う人もいると思うが、そうなのだろうか。
実は、森岡氏は先のインタビューでこんなことを言っているのだ。
「ただ、考えなければならないのは、貧困でもなく、差別も受けず、家庭環境も円満なのに、反出生主義の考え方をもつ人はいるということです。
もし魔法のようなものでその人が抱える外的要因が全部解決したとする。そうしたら『生まれてこなければよかった』とか、『子どもを産まない』とか思わなくなるのかといえば、そうではない。この点は多くの人の直観に反することかもしれません。」
インタビュアーの牧内氏もそのあとにこう打ち明け、対話が続く。
「――確かに、さしあたり自分の人生に不満はなくても、『反出生主義』に共感する人がいますね。取材時の驚きの一つでした。条件付きの『こんな人生なら生まれてこなければよかった』ではなくて、本質的に『生きる価値』について疑いの目を向ける人がいる、ということですか」(牧内氏)
「そういうことです。実はこの問いに、多くの人がなんとなく気づいているんじゃないのか、という気がしています。これは実は多くの人が抱えている、『真正の哲学的問題』である可能性があります。」(森岡氏)
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なんということか。この「産まない」「生まれない」は単に外的要因の悪化に対する防御や抵抗というだけではなくて、もっと本質的な何かと関係している可能性がある、というのだ。つまり、人気者の芸能人の自殺をきっかけに、「生まれた意味、生きている価値などなかったのかもしれない」と考えるようになり、生きる意欲を失っている診察室の人びとは、森岡氏言うところの「真の哲学的問題」に対峙している可能性がある、ということだ。
だとすると、ますます精神科医はそれに対してどういう言葉を発してよいのか、わからなくなる。「そんなこと言わないでください。あなたが生きている意味はきっとありますよ」「あなたはそこにいるだけで価値があるんです。それ以上、なにも必要はありません」といった言葉は“きれいごと”に思え、私にはとても口にできない。かといって、もちろん「たしかに、それは“真の哲学的問題”ですね」などと言うわけもない。
診察室で目の前の人から「生きていたくない」と打ち明けられたら、私は「とりあえず、また私に会うためにだけ、生き続けてもらえませんか。もしかすると、治療を通して、少しは何かを変える役に立てるかもしれません。そのために時間をください。来週また必ず来てください。もし待てなかったら電話してください。約束してくださいね」などと言う。しかし、それでその人の「消えたい」という願望を完全に止められる、という自信はまったくない。せいぜい時間かせぎでしかないので、そのあと「時間をくださいと言われたけど、なにも変わらないじゃないの」と非難されるかもしれないし、私の言葉など無視して人生の中断を実行に移さないとも限らない。あまりに可能性が高そうなら入院してもらうが、「可能性が高そう」かどうかの判断もあてにならないことがある。
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反出生主義者のベネターは、人類の絶滅も歓迎していると言ったが、実は動物についても同じ考えを持っている。とにかく生まれるのは苦痛でしかないので、人間も動物もそれを避けるのが最良だ、という考えなのだ。森岡氏は、新著の中で次のように書く。
「ベネターが夢想しているのは、岩石でできた惑星の上に水が流れ、風が吹き、細菌がうごめき、植物や木が生い茂っている、そういう風景なのだろう。そこにはなんの快楽もないかわりに、なんの苦痛もない。」(前掲書)
どうだろう。この描写に不気味さを感じる人もいるかもしれないが、一方でその永遠の静寂や調和を「美しい」と思う人もいるのではないか。
1960年代、「地球と生物が相互に影響しあうことで、地球がひとつの生きもののように自己調節システムを備える」とする「ガイア理論」を提唱したイギリスの生態学者ジェームズ・ラヴロックは、100歳を迎えた2019年、新著を世に送り出した。