もちろん、この武力衝突にはノア・ハラリ氏はなんの関係もない。彼自身、5月13日にはふたつのメッセージをツイッターに投稿し、「私の住む地域で起きたできごとと、罪のない多くの人々が苦しんでいることに、深い悲しみを覚えます」「憎しみ、暴力、死によって自分の利益を増やそうとしている人たちがいます」と現状を憂い、怒りを表明した(筆者訳、※4)。
しかし、現時点では彼は、1年前の“予言”――人類は「信頼とグローバルな団結」を取り戻せるかもしれないということ――が、ここまで大きくはずれていること、しかも地元でそれとは正反対のことが起きていることについては、何も言及していない。
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話は変わるが、スロヴェニアの哲学者であるスラヴォイ・ジジェク氏も、コロナ流行が始まってから、寄稿やインタビューなどで多くの意見を語ってきた。
いま45歳のノア・ハラリ氏よりかなり年長、72歳のジジェク氏は、ノア・ハラリ氏に比べずいぶん悲観的なように見える。2020年6月に翻訳が出た彼の著作『パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス』(斎藤幸平監修、中林 敦子訳、ele-king books)では、コロナ以降の世界では「事態は良いほうにも、悪いほうにも、あらゆる方向に転じる」と記され、次のような“悪いシナリオ”が提示される。
世界の各地で、国家権力が半ば崩壊することもあるだろう。特に飢餓や環境悪化などの脅威が加速した場合には、『マッドマックス』的な生存競争の中で、地方軍閥のリーダーが領土を支配するようになるだろう。過激派のグループが「老人と弱者は死なせ、我々の国を強く若返らせよ」というナチの戦略を導入することもありえる(略)。
実は、非常事態において人類が「信頼とグローバルな団結」どころか生き馬の目を抜くがごとき生存競争に走るのではないかというヴィジョンは、ジジェク氏が以前から繰り返し提唱してきたものだ。
たとえば、『ポストモダンの共産主義──はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』(栗原百代訳、ちくま新書、2010年)でジジェク氏は、金融危機などで社会のリスクが高まる例をあげてこう言う。「この金融危機が目覚めるきっかけとなり、夢から覚めることになるだろうか?」。つまり、金融危機などが起きると必ず、「行きすぎた資本主義がもたらした結果だ。今こそ私たちは見直すべきときなのだ」といった――まさに“「ピンチをチャンスに」論”とでも呼ぶべき――議論が巻き起こるが、ジジェク氏はこの楽観論には懐疑的なのである。もう少し同書から引用させてもらおう。
危機によってぬるま湯から揺すり出され、生活の土台に不安を覚えざるをえなくなれば、最初に起こるごく自然な反応はパニックであり、次いで「基本へ立ち戻ろう」ということになる。そこで支配的なイデオロギーの基本的な前提が、疑問に付されるどころか、いささか強引に重ねて主張される。
この部分は、先のパンデミックによる“悪いシナリオ”にそのまま重なるものであろう。つまり、ジジェク氏は金融危機のような社会・経済リスク、コロナ感染症によるパンデミックのような生命・健康リスクが著しく高まると、多くの人間はパニック状態に陥り、理性や知性をかなぐり捨てて自分や自分のまわりの人たちのみを守り、それ以外の人を排除したり攻撃したりする行為に出る可能性がある、と言ってきたのである。
そして、たいへん残念なことに、現状を見わたすとこのジジェク氏の“悪いシナリオ”による「『マッドマックス』的な生存競争」(注・『マッドマックス』はジョージ・ミラー監督による人気映画シリーズ。2015年公開の最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では大国同士による戦争後の荒廃した世界が舞台となっているが、そこでは砂漠に各部族がコミュニティを作って暮らし、水や石油の奪い合いを繰り広げている)がそのまま実現しつつあるように思える。
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さらに、この生存競争にひと役買っているのがインターネットだとしたのが、イギリスのジャーナリスト、ジェイミー・バートレット氏による著作『操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』(秋山勝訳、草思社文庫、2020年)だ。
ここでは本書の詳しい内容にまでは立ち入ることはしないが、第2章のタイトルと下にあげるいくつかの項目名だけで、先のジジェク氏の主張との共通点が見えてくる。
第2章 「部族」化する世界 つながればつながるほど、分断されていく
怒りを共有し「部族」として結束する
断片化されていく時代
自己正当化が無限に増幅されていく
トランプこそは「部族政治」の立役者
バートレット氏は、同じ意見の人たちや同じ属性を持つ人たちとの出会いと結びつきが強化され、他方では異なる意見を持つ集団が排除されやすいというネットの特性により、世界が断片化され、従来の民主主義の下でコントロールされていた暴力性が解き放たれるとして、それを「再部族化行為(リ・トライバリゼーション)」と呼ぶのである。そしてバートレット氏は、アメリカの前大統領トランプ氏こそ「もつれにもつれた世界」から人々を解放し、「部族的な帰属意識を与えてくれる」リーダーだと支持者は信じた、と述べる。ここから、先の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に登場する独裁者、イモータン・ジョーを連想する人も多いだろう。
こうやって見てくると、新型コロナのパンデミックは「ネット時代に起きたはじめての世界規模の生命・健康リスク」と考えられ、ジジェク氏的な観点からも、バートレット氏の観点からも、世界の分断と攻撃性や暴力性の高まり、つまり世界の「『部族』化」「『マッドマックス』化」はある意味、必然的だったとも言えるのである。ノア・ハラリ氏が思い描いた「ピンチをチャンスに」的なバラ色の未来とは、なんと隔たりがあるのだろうか。