そして、たとえばいまアメリカで起きているアジア系の人たちへのヘイトクライムも、この文脈で理解すべきであろう。黒人によるアジア系への暴力事件もいくつも報じられており、アメリカ国内で差別の被害を受けてきた黒人が、なぜ同じくマイノリティであるアジア系を攻撃の対象にするのかわからない、という声もある。しかし、ここまでの流れで考えると、コロナで健康のリスクにさらされ、さらに失業などで生活も危機に陥っている黒人の中には、その不安や怒りをより人数が少ないアジア系への憎しみや排除感情に転換してしまう人がいても不思議ではない。もはや信じられるのは自分たちの民族だけ、人種だけ、さらには狭い地域の仲間だけ、もっと進めば一族郎党だけ、となってしまい、過剰な防御が、あるとき攻撃、暴力へと転じてしまうのである。
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では、どうすればこのパンデミックとネット社会化の二重の要因による「『部族』化」を食い止めることができるのだろうか。
ジジェク氏は筋金入りのコミュニストらしく、これらの背景には「野蛮な資本主義の蔓延」があり、それを終焉させることが最優先であると主張する。「生活に対するデジタル管理」にも異議を唱える。しかし、果たしてそれは可能なのだろうか。私自身には「そうだ」と言い切る自信はない。
そして、私は精神医学を専門とする者として、この断片化や攻撃性の発露を核とする人びとの「『部族』化」を解決する“処方箋”を書く責務があると知りながら、いまだにそれができずにいる。ただ、わかることは少ないながらある。まず、“「ピンチをチャンスに」論”、楽観論を私たちは早く捨て去らなければならないということ、早急に現実的に打てる手を考えなければならない、ということだ。バラ色の未来を夢見ることなく、常に「マッドマックス」的な無残な現実を直視し続け、そのときどきでできる手当てを考えること。結局はこれしかないのではないか。
ジジェク氏は先の著作『パンデミック』を、瞑想好きでも知られるノア・ハラリ氏を皮肉るかのような言葉で締めくくっている。最後にその一部を引用して、この“夢のない小論”を終わろうと思う。
「ウイルス危機のおかげで、我々の暮らしの本当の意味を突き詰めることができる」などというニューエイジのスピリチュアルな瞑想で、無駄にしてよい時間はない。(前掲書)