こんなふうに、戦地にいる個人の現実や心情に没入しながら戦争のゆくえを見守った経験を、私たち人間はこれまでしたことがなかったはずだ。「遠い国の戦争」を身近な問題として感じるには、少ない報道から精いっぱいの想像力を働かせたり、現地でのジャーナリストのルポを読んだりするしかなかった。しかし、現代は違う。手の中のスマホをちょっとだけ操作すれば、そこにはいま空爆を受けている町からのリアルタイムの映像配信があり、住み慣れた家を離れて逃げようとしている人たちの悲痛な姿がある。場合によっては、その人たちとメッセージのやり取りをすることさえできる。
それによって私たちの心がどんなダメージを受けるのか、わかっている人は誰もいない。今回はPTSD、共感疲労、サバイバーズ・ギルトといった従来から知られている概念を用いて説明を試みたが、その枠には収まらない“何か”が、戦地にいるわけではない私たちの心身に起きる可能性もあるのだ。
「それを避けるためにも情報には触れすぎないでください」と言うのは簡単だ。しかし、それははっきり言って無理だろう。また、ウクライナやロシアでいま「何が起きているのか」を知るのは、好むと好まざるとにかかわらず、グローバル社会を生きる私たちの責務だとも言える。
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ただ、それでもやはり知っておくべきだ。SNSによって世界の個々人に届けられるこの戦争は、これまでとは次元の違う没入感をもたらしている。戦地にいない人の心にもたらされるショックや恐怖、同情や怒り、悲しみなどの強い感情、罪悪感などの大きさは計り知れない。そしてその結果、想定外の心理的ダメージを受け、そのままメンタル不調に陥る人が出てきても不思議ではない。
根本的な対策はただひとつ、戦乱が早く収まることなのであるが、それまでの間、それぞれがなんとか自分や家族の心を守ることも考えるべきだ。そうなるとやはり、スマホやメディアとの接触時間を減らす、自分を休ませ楽しいことに集中する時間も持つ、運動なども取り入れてからだに注意を向ける、といった常識的な対策しかないということになるだろうか。そして、不眠や落ち込みが続くようになったら、早めにメンタル専門医のもとを訪ねて相談する。現時点で思いつくのはこれくらいだ。
とはいえ、これまでにはないことが起きているのだから、対策もこれまでにはなかったものが必要になるはずなのだ。この問題は、これからも引き続き考えたい。