この「ガンダム」に限らず、1970年以降、それぞれの時代を飾ったロボットアニメが今また人気を集めており、リメイク版が作られたり高価なフィギュアが売り切れたりもしているという。30代から40代の男性向けのある雑誌の編集者の話によれば、そういったロボットアニメや関連グッズを特集した号はかつてないほどの売れ行きだったとか。
もちろん、時ならぬロボットアニメ人気を支えているのは、小中学生の子どもではない。かつてリアルタイムでそれらを見てきた大人たちだ。前出の編集者も言っていた。「ちょっと前にはリタイアした団塊世代を狙え、ということで、彼ら向けの商品や企画が山ほどあったでしょう。でも、どうも本当にお金を使ってくれるのは、40代のミドル世代みたいなんですよね」
とはいえ、40代といえば子どもの教育や家のローンもまだ終わっていないころ。自分の自由になるお金はそう多くなさそうだ。それを言うと、編集者は言った。「そう思うでしょう、でも、昼食代は削ってもフィギュアは手に入れたい、と思い詰めるのがその世代のマニアなんですよ」。つまり、経済的な余裕ができたから趣味や余暇につぎ込む団塊世代とは違って、余裕がなくてもほしいものはどうしてもほしい、という人たちが、このブームを支えているようなのだ。
それにしても、なぜ今になってロボットアニメ人気が再燃しているのか。理由はひとつではないだろうが、ここにも時代の行き詰まり感が関係していることは確かだ。とくに「ガンダム」以降のアニメは、その設定やストーリーはそれほど単純ではない。「宇宙からやって来た悪者を退治する」といった話ではなくて、人間対人間の話だったり、人間の側にむしろ邪悪な心があったり地球環境がすっかり破壊されていたり。当時、それらは近未来の物語として描かれていたが、今見ると「これってまさに現在のこと」と思えるような話も少なくない。つまり、現実がアニメの世界にすっかり追いついてしまったのだ。
そういう意味で、当時のファンは空想物語としてではなく、リアルな話としてかつてのアニメを見返しているのではないか。そして、「そうそう、今の地球ってまさにこうだよね」「あ、オレもこんな理不尽な状況に置かれてるよ」などと子ども時代とは違った共感を覚えながら見返すが、ひとつ大きく違うのは、アニメのほうには超人的なロボットが登場することだ。
そのロボットにしても、とくに80年以降はすべてを解決してくれるものではなく、物語の一要素にしかすぎない場合も多いのだが、それでも行き詰まった日常を打開してくれる存在であることはかわりない。「そうか、ウルトラマンのように登場するだけでもう安心、というヒーローはいないのだな」と思いつつも、「でも、こんなロボットがちょっと出てくるだけで、オレの生活もちょっとは変化するのだろうか」と考えてみる。ロボットさえ、彼らにとっては今やかなりリアルな想像の対象になっているのだ。
とはいえ、私たちの現実に実際にはロボットはやって来ない。せいぜいフィギュアか、お台場の等身大模型か、というところだ。あとはそれを見ながら、それぞれが心の中で「私にとってこの閉塞感を打開してくれるロボットとは」と考えなければならない。30代、40代にとってのロボットアニメは、なかなか重く屈折した意味を持つのである。