とくに目立つのは、女性議員たちの過去の仕事や恋愛、結婚歴から家族の問題までをことさらにくわしく探ろうとする記事。政治家は公人なので人権などいっさいない、ということなのか、ほとんどセクハラやストーカーまがいの記述さえある。
たしかに、私たち有権者が大切な一票を投じて、国の行く先をまかせた議員なのだから、今のイメージや政権公約とあまりにも違う過去があるのは、問題と言える。極端なことを言えば、平和主義を唱える人に軍国主義者の過去があったとか、「弱い人たちのためにがんばります!」と主張していた人がかつては弱者を食いものにする詐欺師だった、というのでは、とても信頼することなどできない。
しかし、最近よく言われている候補者や入閣予定者の“身体検査”というのは、現在の主張と過去の姿勢やポリシーとのギャップの問題ではなく、とにかく徹底的に“清く正しく美しい”かどうか、と問題ばかり追及しているように思われる。とくにマスコミの論調はそちらに傾きがちだ。過去にこんなカッコ悪い仕事をしていたとか、離婚の経験があるなどというのは、まさに後者。政権公約やこれからの仕事への期待を裏切るようなものではないだろうか。
だいたい、誰に見せても文句のつけようもない過去を持つ人しか政治家になれないのであれば、その資格を持つ人はごく限られている。つまり、麻生氏や安倍氏のような経済的にも社会的にも苦労したことのない坊ちゃんだけだ。彼らは、人に知られたら恥ずかしいアルバイトをしなかったのではなく、する必要がなかったのだ。
「苦労は買ってでもしろ」ということわざさえあるが、診察室にいても「苦労って悪いものじゃない」とつくづく思うことがある。若いときに環境に恵まれずに苦労して、一時はからだや心の調子を崩しても、そこから自力で立ち直った人というのは、こちらの想像を超えた意欲や行動を見せることが多い。学校に入り直した、家庭を持つことに決めた、海外転勤を受け入れて一からやり直すことにした、と最後の診察のときに明るい表情で語ってくれた人たちは、その後、おそらく他人の痛みも理解しつつ、独自の活躍を続けていると思われる。
そして彼らの中には、「ああ、こういう人が一念発起して政治家にでもなってくれれば、社会は変わるだろうな」と思うような知識と行動力、思いやりの持ち主もいる。もちろん、精神科医として「あなた、今度の選挙に出ませんか」などとは言えないが、もしそうなっても例の“身体検査”に引っかかってしまうのだろうか。雑誌などに「○○議員にうつ病で長期通院の過去」などと書かれ、せっかくやる気になっている本人が傷つき、モチベーションが下がってしまったとしたら、誰のためにもプラスにはならないはずなのだが……。
結局人々は、「政治家なのだから、十分な“身体検査”が必要」という大義名分のもと、遠慮のない好奇の目を新人女性議員などに向け、探り当てた過去を鬼の首を取ったかのようにさらけ出して、日ごろのうっぷんを晴らしているだけのような気がする。
これって本当に必要な“身体検査”なの、政治的な姿勢とは関係ないことじゃないの、とその正当性を見きわめる目を、私たちは十分に持っていたいものだ。