この原稿を執筆している時点ではまだ情報も少ないので、今回は一般的な結婚詐欺について述べてみたい。
結婚詐欺には、「お金目当て」というタイプと、プロポーズや婚約といった人生のハイライトを何度も味わいたいというタイプとがいる。前者は比較的、わかりやすい詐欺だが、後者となると、そこに心理的なゆがみや病理が関係している場合も少なくない。
直接はお金目的ではない後者のようなタイプには、さらに「刺激がほしい」という刺激中毒のような人と、自分がいつでも何かの主人公でいたいという自己愛が異様に強い人とがいるだろう。いずれにしてもこの人たちは、ある時点までは自分で自分をもだまし、「この人を愛しているんだ、結婚するんだ」と思い込んでいることが多い。
とはいえ、もちろん、相手の心情や迷惑などはいっさい顧みない。とくに自己愛タイプでは、「私だけが特別、ほかの人間は私のために存在する」と心から思っているので、他人がどういう気持ちになろうが迷惑しようが、共感したり同情したりができないのだ。「かわいそう」と涙を流すことはあっても、それは「涙を流すくらいやさしく見える自分が好き」だからにすぎない。
いつも非日常的な刺激がほしい、いつも主人公でいたい、という人たちにとって、異性との出会いを求める人が集まるネットの恋人探しサイトなどは、まさに自分のために用意された場に見えるだろう。しかもネットでは自分の実際の姿や生活を出さずに、「理想の自分」を演じることができる。この人たちにとっては、好きなように自分を脚色できる場さえあれば、相手を夢中にさせることなどお手のもの。
おそらく何度かメールを交わし、いよいよ会うときには、相手は「この人こそ私の運命の人」と結婚の意思まで固めていることだろう。実際に会って、思い描いていたイメージと違う場合もあるかもしれないが、すでに確信にも似た気持ちを抱いているので、少々のことでは揺らぐことはない。
しかし、いくらインターネットという非現実のステージで恋愛、結婚の約束を取りつけ、有頂天になっていても、いつかはそれが現実や日常にシフトする日がやってくる。「今日、両親が来るので会ってほしい」と言われて、最初の何回かはいろいろな用事をでっちあげて断ることができても、それもいつまでも続けるわけにはいかない。
昨年、ある女性と結婚の約束をし、披露宴の前日になってもうどうにもならなくなって式場に放火した既婚男性がいたが、ここまでいかなくても、いきなり姿を消してしまう“フィアンセ”もいるのではないだろうか。
今回、問題になっている女性はどうだったのだろう。あくまでお金目的だったのか、それとも結婚という華やかなステージにいる自分が好きな自己愛タイプだったのか…。これまでの報道を見る限り、どうもその双方の要素があるようだ。北海道の東部の町で育った彼女の中学生時代の作文などを読むと、「私の世間はまだこの町だけだが、どんどん広げたい」など目の前の現実に違和感を感じ、よりぜいたくな生活や都会での生活のほうをリアルと感じていた様子がうかがわれる。
ここは私の居場所ではない、と感じて、そこから努力して国際舞台などで活躍する人もいるが、彼女の場合、活躍の場はネットと結婚詐欺の舞台だった、ということか。いずれにしても特異だがある意味では多くの現代人にもつながるパーソナリティーの持ち主だったと考えられる。またこの問題については、情報が出そろったところで考えてみたい。