ただ、そんな“サッカー素人”の私でも、ネットや週刊誌などを見ていると、ワールドカップを控えて今年の日本代表チームには不安材料がいっぱい、というのはよくわかる。しかも、その不安の最大の原因は監督である岡田武史氏の采配にある、と言われているようだ。
監督交代論だけならまだしも、ついに「岡田監督はうつ状態」などと決めつけている週刊誌もあった。ワールドカップで日本チームに勝ってもらいたい、という期待はわからないでもないが、監督ひとりが「悪いのはすべてこの人」と責められ、勝手な憶測をされたり人間性まで否定されるようなことを言われたりするのは、なんとも気の毒だ。
冷静に考えると、サッカーに関しては日本の実力は世界の中でもそれほど上位ではないようだ。最新(2010年4月)のFIFAランキングでは、45位。その前後を見ると、コスタリカ、アイルランド、スコットランド、日本、ラトビア、韓国、リトアニアとなっている。野球のイチロー、松坂クラスの選手が世界で活躍していて、日本代表チームに駆けつけてくれるわけでもない。
何度も言うが、私は“サッカー素人”。その目から見ると、全32チームしか出場できないワールドカップに出場できるだけ、「日本はラッキー」という気がする。ちなみに、日本と同じブロックのオランダ、デンマーク、カメルーンは、いずれも日本よりランキングは上だ。
今年になって私は、岡田監督と対談する機会があった。その印象をひとことで言うと、「謎めいたところのない理論派」。
監督は、代々、医者の家系で育ち、自分も「サッカーを続けるか、医大に進学するか」と迷った時期があったという。そのせいか、理系的な知的好奇心が旺盛で、脳科学や精神医学にも興味を持って勉強していることがわかった。選手を動かすにしても、「ただ経験や直感に従って動かす」のではなくて、きちんと何かの根拠に基づいて動かしたい。そのための理論を自分なりに構築したい、と模索しているようだった。
いわゆるカリスマ性で人を圧倒するタイプではない。トルシエ氏やオシム氏といった外国人監督なら「文化の違い」「言語感覚の違い」という納得のための“切り札”もあるが、日本人で年齢的にもまだ50代になったばかりの岡田監督にはそれもない。誰もが、「同じサッカーを見て育ち、Jリーグの立ち上げだっていっしょに見てきたはずじゃない」と同世代感覚を抱く。それが、皮肉なことに“批判のしやすさ”につながっているのだろう。
オシム氏に、「ちょっとオシムさん、このあいだの試合だけど」ともの申す人はいないし、もしいたとしても、彼にジロリとにらまれたら、それ以上、言葉を続けることはできなくなる。それが岡田監督となると、「岡ちゃん、あれはマズイでしょ」などと気安く語りかけても許される、と思ってしまうのだ。
私が監督と対談したのは、国際試合のはざまの時期だった。「いま現在はどんな毎日ですか」と尋ねると、「ひとりで一日中、試合の映像を見ながら、ああでもない、こうでもないと考えている」と笑っていた。練習や試合は監督の仕事のほんの一部で、あとはこういう孤独な時間が多いのだろう。孤独に耐えられる精神のタフさがなければ、監督の仕事はできないのだ。
さて、これからワールドカップの代表選手が発表され、いよいよ本番に向けてカウントダウンが始まる。南アフリカで何らかの“奇跡”が起きない限りは、今のブロックの中で日本が勝利をあげるのは、現実的にむずかしそうだ。そのとき、「ワールドカップまで引っ張って行ってくれてありがとう」と言えるか、それとも「なんだ、日本はベスト4も夢じゃないと言ったのに!」とさらにバッシングするか。私たちの“心の度量”が試されている気がする。